佐渡国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 13:57 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動佐渡国 | |
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■-佐渡国 ■-北陸道 | |
別称 |
佐州(さしゅう) 渡州(としゅう) |
所属 | 北陸道 |
相当領域 | 新潟県佐渡市(佐渡島) |
諸元 | |
国力 | 中国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 | 3郡22郷 |
国内主要施設 | |
佐渡国府 | (推定)新潟県佐渡市 |
佐渡国分寺 | 新潟県佐渡市(佐渡国分寺跡) |
佐渡国分尼寺 | (未詳) |
一宮 | 度津神社(新潟県佐渡市) |
概要
「佐渡」の名称
平城宮木簡には「佐度国」と表記されている。
歴史
佐渡市#歴史の項を参照
沿革
国が建てられた時期は不明。
もと雑太郡一郡のみの国であったが、養老5年(721年)に雑太郡、加茂郡、羽茂郡の三郡に分けられた。 後、明治29年(1896年)に佐渡郡一郡にまとめられた。
近代以降
- 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点では全域が佐渡奉行が管轄する幕府領。なお、羽茂郡のごく一部に寺社領が所在。(262村・132,687石余)
- 慶応4年
- 明治元年
- 明治2年
- 明治4年11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により相川県に改称。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により新潟県に合併。同日相川県廃止。
国内の施設
国府
国府は雑太郡にあった。国仲平野の南辺にあったと推測される。下国府遺跡が官人の住居と推定されているが、政庁はまだ見つかっていない。
国分寺・国分尼寺
奈良時代に作られた佐渡国分寺はいったん放棄された。 江戸時代の延宝7年(1679年)に賢教によって真言宗の寺として再建され、平安時代に造られた薬師如来像を今に伝える。 元の国分寺の遺跡は今の寺の至近にある。どちらも所在地は佐渡市国分寺である。
神社
- 羽茂郡 度津神社 (佐渡市飯岡)
- 羽茂郡 大目神社 (佐渡市吉岡)
- 雑太郡 引田部神社 (佐渡市金丸)
- 雑太郡 物部神社 (佐渡市小倉)
- 雑太郡 御食神社 (佐渡市宮川)
- 雑太郡 飯持神社 (佐渡市飯持)
- 雑太郡 越敷神社 (佐渡市猿八)
- 賀茂郡 大幡神社 (佐渡市大倉)
- 賀茂郡 阿都久志比古神社 (現 熱串彦神社、佐渡市長江)
- 総社 総社神社 (佐渡市吉岡) - 元は国府の近くにあったものを徳治2年(1307年)に現在地に遷座したと伝えられる。
- 一宮 度津神社
- 二宮 大目神社
- 三宮 引田部神社
城
地域
郡
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