ヴォルカ鹿児島 歴史

ヴォルカ鹿児島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 23:52 UTC 版)

歴史

1959年、「鹿児島サッカー教員団」という鹿児島県教育委員会所属教職員のサッカー部として創設。

1969年、第5回全国社会人サッカー選手権大会に初出場。1972年の第8回大会では3位に入賞する。

1973年、同年より創設された九州サッカーリーグに所属。一度も都道府県リーグに降格することなく在籍した。

1995年、将来の全国規模のリーグ戦参加を目指す方針となり「ヴォルカ鹿児島」と名称変更してクラブチームに移行した。なお、クラブ名のヴォルカ(Volca)はフランス語で火山を意味する「ヴォルカン」(volcan)を由来にしており、鹿児島のシンボルの一つである桜島をイメージしている。また、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参入を目指すことを表明した。

2003年、「2010年からのJ1参戦」を目指しSPONET鹿児島を設立。監督に前田浩二、コーチに内藤就行野田知を現役選手兼任で招いた。2003年には前田浩二らを招集しセミプロ集団として数年を戦ったが、プロ選手への給料の遅配が発覚しプロ選手はクラブを離れた。ヴォルカはこの時の経験を「前田氏の残したノウハウ」[1] とし度々言及しチームの基盤だとしている

2005年、スポンサーの目処がつかず、さらには法人化計画の遅延から資金難に陥っていることが発覚。SPONET鹿児島は解散。新たに運営団体として松澤隆司を議長とする「ヴォルカ鹿児島評議会」を立ち上げる、評議会の人員構成は9名のみで構成されていた。

2007年11月までにクラブを法人化することを目指していたが、法人化に失敗しヴォルカ鹿児島評議会を解散。

2008年からは新しく運営団体を「KAPS(Kagoshima Arcadia Project Sports)」とし、JFL昇格を目標にシーズンを戦うこととなった。

2010年、前田浩二の復帰が発表された[2] が、2012年アビスパ福岡の監督に就任することになり、ヴォルカを退団した。

2010年4月、2011年にJリーグ準加盟申請を行う事が公式ウェブサイトにて明らかになった[3]

2010年12月、2012年のプロクラブ化、2014年のJ2加盟を目標に掲げる。それに伴い、2011年に新たなチーム名の公募とJリーグ入りに対する署名活動を行うと発表[4]。また、2011年の法人化と、2012年のプロチーム化、2014年にJリーグ入りを果たすことを目指すとし[4]、2013年よりチーム名を変更する予定であった。

2011年2月、クラブが法人化。

2012年6月、クラブ新名称応募締め切り。

2013年、7月1日に2014年の準加盟申請を断念した事を発表した[5]。理由は、Jリーグ側よりFC KAGOSHIMAとの一本化を求められていたが、協議が難航して期日までにまとまらなかったからである[5]

2013年8月、2014年よりFC KAGOSHIMAと統合した上で、将来のJリーグ入りを目指すことで合意したと発表した。

2013年12月2日、FC KAGOSHIMAと統合後の新チーム名を「鹿児島ユナイテッドFC」とすることが発表、2014年度から活動を開始することとなり、同時に、本年をもってヴォルカ鹿児島としての活動を終えた。この鹿児島ユナイテッドFCは登録上は「ヴォルカ鹿児島と合併したFC KAGOSHIMAが名称を変更した」という形をとっている[6]。なお、12月4日のJFL理事会にて鹿児島ユナイテッドFCのJFL入会が承認された。








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