ロシアの農奴制 脚注

ロシアの農奴制

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脚注

参考文献

  • 鳥山成人『スラヴの発展』文藝春秋〈大世界史 第15〉、1968年。 
  • 相田重夫 著「陽気な貴婦人革命」、大野真弓責任編集 編『世界の歴史8 絶対君主と人民』中央公論社中公文庫〉、1975年2月。 
  • 岩間徹 編『ロシア史』山川出版社〈世界各国史4〉、1979年。 
  • 松田道雄『世界の歴史22 ロシアの革命』河出書房新社〈河出文庫〉、1990年。ISBN 978-4309471815 
  • 朝日新聞社 編「農奴解放令」『世界史を読む事典』朝日新聞社〈地域からの世界史20〉、1994年1月。ISBN 4-02-258515-3 
  • 田中, 陽兒、倉持, 俊一、和田, 春樹 編『世界歴史大系 ロシア史2(18世紀-19世紀)』山川出版社、1994年10月。ISBN 4-634-46070-X 
    • 土肥恒之 著「18世紀のロシア帝国」、田中・倉持・和田 編『世界歴史大系 ロシア史2』山川出版社、1994年。 
    • 倉持俊一 著「デカブリストとニコライ1世の時代」、田中・倉持・和田 編『世界歴史大系 ロシア史2』山川出版社、1994年。 
    • 鈴木健夫 著「"大改革"」、田中・倉持・和田 編『世界歴史大系 ロシア史2』山川出版社、1994年。 
  • 土肥恒之 著「逃亡(ヨーロッパの)」、南塚, 信吾加藤, 友康; 川北, 稔 ほか 編『歴史学事典4 民衆と変革弘文堂、1996年12月。ISBN 978-4-335-21034-1 
  • イマニュエル・ウォーラーステイン 著、川北稔 訳「第3章 広大な新地域の「世界経済」への組み込み-1750年から1850年まで-」『近代世界システム 1730-1840s -大西洋革命の時代-名古屋大学出版会、1997年7月。ISBN 4-8158-0327-7 
  • 和田春樹 編『ロシア史』山川出版社〈世界各国史〉、2002年8月。ISBN 978-4-634-41520-1 
    • 栗生沢猛夫 著「モスクワ国家の時代」、和田 編『ロシア史』山川出版社〈世界各国史〉、2002年。 
    • 栗生沢猛夫・土肥恒之 著「「動乱」とロマノフ朝の始まり」、和田 編『ロシア史』山川出版社〈世界各国史〉、2002年。 
    • 土肥恒之 著「ロシア帝国の成立」、和田 編『ロシア史』山川出版社〈世界各国史〉、2002年。 
    • 和田春樹 著「ロシア帝国の発展」、和田 編『ロシア史』山川出版社〈世界各国史〉、2002年。 
  • 外川継男 著「デカブリストの乱」、小学館 編『日本大百科全書』小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459 
  • 外川継男 著「ニコライ(1世)」、小学館 編『日本大百科全書』小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459 
  • フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ(共編)、樺山紘一日本語版監修 編「ロシアのエカテリーナ2世」『ラルース 図説 世界人物百科II ルネサンス-啓蒙時代』原書房、2004年10月。ISBN 4-562-03729-6 
  • フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ(共編) 樺山紘一日本語版監修 編「アレクサンドル2世」『ラルース 図説 世界人物百科III フランス革命-世界大戦前夜』原書房、2005年4月。ISBN 4-562-03730-X 
  • 土肥恒之『ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社〈興亡の世界史〉、2007年3月。ISBN 978-4062807142 
  • 土肥恒之『図説 帝政ロシア』河出書房新社〈ふくろうの本〉、2009年2月。ISBN 978-4-309-76124-4 
  • 栗生沢猛夫『図説 ロシアの歴史』河出書房新社〈ふくろうの本〉、2010年10月。ISBN 978-4309761435 
  • Alfred Worcester Crosby, Jr."America, Russia, Hemp, and Napoleon: American Trade with Russia and the Baltic, 1783-1812", (Ohio State University Press, 1965).
  • Jean-Louis Van Regemoter, Jr."Le déclin du sarvage, 1796-1855", Vol.I of R Portal,dir;Histoire la Russie.(Paris:Hatier, 1971).
  • Philip Longworth."Popular Protest in England and Russia: Some Comparisons and Suggestions",in A.G.Gross,ed.,"Great Britain and Russia in the Eighteenth Century : Contrasts and Comparisons."Newton,MA:Oriental Research Patterns,1979.

関連項目


注釈

  1. ^ 東ローマ皇帝キプチャク汗をさす称号であった「ツァーリ」を自称するようになったのもイヴァン3世が始まりである。ロシア唯一の君主となったモスクワ大公は、それまでの独立諸公国の君主であった者を貴族としてその支配体制に編入していったが、ここでは、貴族ですら大公の「奴隷」を自称した。栗生沢(2002)p.105
  2. ^ 1粒のライ麦の種からわずか3ないし4粒ほどの収穫しか得られなかったという。土肥(2002)pp.182-183
  3. ^ シベリアに流されたラジーシチェフは、イルクーツク日本からの漂流民大黒屋光太夫と会見している。
  4. ^ しかし、フランス革命とそれにつづくナポレオン戦争のため、ロシアは対仏大同盟に参加し、イギリス陣営にもどることを余儀なくされた。パーヴェル1世自身も、ナポレオン戦争期の1801年に近衛隊のクーデターによって暗殺された。
  5. ^ ニコライ1世に呼び出されたプーシキンは、デカブリストの乱のときに首都にいたらどうしたかと皇帝に尋ねられたのに対し、反徒の仲間に加わっていただろうと正直に答えたが、皇帝はプーシキンの流刑を解いた。土肥(2002)p.219
  6. ^ 農奴の不動産購入権については、あくまでも領主の承諾を前提条件としていた。倉持(1994)p.155
  7. ^ 1851年統計では、領主(貴族所有)農民男子が約1099万人、国有地農民男子が約960万人、御料地(帝室領)農民男子が約127万人、さらに領主の家内奴隷としてはたらく下僕が53万人いた。それぞれ、男性の人口の40.4パーセント、35.3パーセント、4.7パーセント、1.9パーセントを占めた。土肥(1994)pp.190-191
  8. ^ 政府に対して買戻金の返済義務を負ったかつての農奴は「一時的義務負担農民」と呼ばれた。かれらは49年賦を課せられたが、これを支払うことができず、結局1907年に全額廃止されている。岩間他(1979)pp.315-316
  9. ^ プロイセンでは1807年ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタインによってなされ、シュタイン失脚後はカール・アウグスト・フォン・ハルデンベルクによって引き継がれた諸改革(「シュタイン・ハルデンベルクの改革」)によって農奴の土地緊縛や経済外的強制は終わりを告げた。それ以後の農業経営は一般にユンカー経営といわれる。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 相田(1975)pp.408-412
  2. ^ a b 栗生沢(2002)pp.104-106
  3. ^ a b 栗生沢(2002)p.110
  4. ^ a b c 栗生沢(2002)pp.116-119
  5. ^ a b c d e f g h i j 『ラルース 図説 世界人物百科III』(2005)pp.247-250
  6. ^ a b c d 栗生沢&土肥(2002)pp.146-150
  7. ^ 土肥(1996)
  8. ^ a b c d e f 土肥(2002)pp.164-167
  9. ^ a b c d 土肥(2002)pp.182-185
  10. ^ a b c d e f g h 土肥(2009)pp.45-46
  11. ^ a b c d e 土肥(1994)pp.76-77
  12. ^ 土肥(2002)pp.188-189
  13. ^ a b c d e f g ウォーラーステイン(1997)pp.202-203
  14. ^ a b 土肥(2002)pp.189-191
  15. ^ a b c d 土肥(1994)pp.83-88
  16. ^ ウォーラーステイン(1997)p.203。原出典はLongworth(1979)
  17. ^ a b c d 『ラルース 図説 世界人物百科II』(2004)pp.422-427
  18. ^ 鳥山(1968)pp.314-316
  19. ^ ウォーラーステイン(1997)pp.167-168。原出典はRegemoter(1971)
  20. ^ a b c 土肥(2002)pp.197-200
  21. ^ a b c 外川「デカブリストの乱」(2004)
  22. ^ 倉持(1994)pp.171-172
  23. ^ 和田(2004)pp.219-220
  24. ^ a b 倉持(1994)pp.174-175
  25. ^ 外川「ニコライ(1世)」(2004)
  26. ^ a b 倉持(2001)pp.154-157
  27. ^ a b c d e f g 鳥山(1968)pp.328-332
  28. ^ 松田(1990)p.45
  29. ^ 鈴木(1994)pp.202-203
  30. ^ a b c 栗生沢(2010)pp.92-94
  31. ^ 土肥(2007)p.211
  32. ^ 中野京子『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』光文社、2014年、163頁。ISBN 978-4-334-03811-3 
  33. ^ a b 『世界史を読む事典』(1994)p.117
  34. ^ a b 松田(1990)pp.51-54
  35. ^ ウォーラーステイン(1997)p.163, pp.167-168
  36. ^ ウォーラーステイン(1997)pp.167-168。原出典はCrosby(1965)
  37. ^ a b ウォーラーステイン(1997)pp.203-204





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