フィルマー 住民

フィルマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 14:28 UTC 版)

住民

人口構成

Zensus 2011 の結果によれば、2011年5月9日時点でのフィルマーの人口は6,941人である。このうち 224人 (3.2 %) が外国人で、115人がEU加盟国、64人がEU以外のヨーロッパ国、45人がその他の外国人であった[9]。戸数は2,947戸であった。このうち、797戸が単身世帯、790戸が子供のいない夫婦、1,039戸が子供いる夫婦、258戸が片親と子供の同居世帯、43戸が共同生活世帯であった[10]。2,774人 (40.0 %) が福音主義、2,909人 (41.9 %) がカトリックを信仰していた[11]

宗教統計

  • 1885年: 福音主義 81人 (3.90 %)、カトリック 1,927人 (92.78 %)、その他のキリスト教 7人 (0.34 %)、ユダヤ教 62人 (2.99 %)
  • 1961年: 福音主義 219人 (7.93 %)、カトリック 2,521人 (91.31 %)[7]

行政

フィルマー市庁舎

議会

フィルマーの議会は、31議席からなる。

フィルマーの幟

紋章と旗

紋章

図柄: 銀地に端まで貫く赤い十字。縦横の交点に黒い小楯。小楯の中はハルバードと銀の鍵とが斜め十字に配されている[12]

当時オーバーラーン郡に属してたフィルマーの紋章は、1970年6月12日にヘッセン内務省の認可を得た。デザインはバート・ナウハイムの紋章研究家ハイツ・リットによる。

この紋章は古い裁判印に起源を持ち、中世および近世のこの村の所有権・支配権の所在を表している。赤い十字は1596年から1806年までフィルマーの高権を有していたトリーア選帝侯の紋章である。鍵はフィルマー教区の守護聖人である聖ペトロを象徴している。ハルバード(本来は首切り斧)は、1053年から1802年までフィルマーの教会区と土地の所有権を有していたトリーアのベネディクト会聖マティアス修道院ドイツ語版英語版の守護聖人である聖マティアスの象徴である。

旗は紋章とともに1970年6月12日にヘッセン内務省の認可を得た。

図柄: 銀地(白地)に端まで貫く長く伸びた赤い十字。縦横の交点に黒い小楯。小楯の中は金(黄色)のハルバードと銀(白)の鍵とが斜め十字に配されている。

フィルマーは、地域再編後、1983年6月12日に改めてこの紋章と旗の認可を受けた[13]

姉妹都市

文化と見所

見所

聖ペーターおよびパウル教会

教区教会聖ペーターおよびパウル教会

この教会は、1746年から1749年に、チロル出身でボッパルトで活動していたトーマス・ノイロールの監督下で、1292年に「バシリカ」と呼ばれていた後期ロマネスク様式の教会のあった場所に建設された。この教会は控え壁交差ヴォールトをもつ柱間5間の大きなザールキルヒェドイツ語版英語版である。やや狭い内陣室は、ドイツ語版英語版の東に位置している。塔の頂部は、1885年の落雷後に、ネオゴシック様式で建造された。内部にはハーダマルの彫刻家(ヨハン・テュービンガー、ヤーコプ・ウィース)の後期バロック様式の豪華な調度(1760年 - 1764年)や、18世紀から19世紀の地元のラーン大理石作品が配置されている。現在のバロック様式の「ヤコブの祭壇」は、1491年にすでに「ヤコブおよびマティアスの祭壇」として記録されている。

1957年にヴィースバーデンの建築家パウル・ヨハンブロアーによって内陣を西に向かって拡張する工事が行われた。現在この教会は、2階席を含めて500人の信者を収容する会衆席を有している。儀式用祭壇とフランス産石灰岩で造られた朗読壇ドイツ語版英語版は1980年代から1990年代にフィルマーの彫刻家ヴァルター・シュミットによって芸術的に設えられた。1988年から1989年の修復の際、2階席の下の後ろ壁の前に2基の新しい礼拝堂が創られた。ここには15世紀末の磔刑群像と十字架の道行きの像が収められている。ここには、ラーン大理石製のコミュニケーション・ベンチ(内陣をもある。オルガンは1754年/1755年にヨハン・クリスティアン・ケーラー(フランクフルト)によって建設されたもので、何度かの改良(1885年/86年 リムブルクのケラー兄弟、1932年、1976年 ボンのヨハネス・クライス)がなされ、2つの手鍵盤と脚鍵盤、27のストップを有している。また、バロック時代の前面管が保持されている。

ラーン川に架かる大理石の橋

ラーン大理石

  • ラーン川に架かる大理石の橋。1894/95年建造。2本の橋脚と橋台とをつなぐ 3つのアーチの幅はそれぞれ 21.5 m である。橋脚とアーチは堅牢に削られたラーン大理石のブロックで造られており、側面は様々な種類のラーン大理石や装飾石で仕上げられている。この種のものとしてはドイツでも傑出した作品であるこの橋は1985年に技術文化財に指定された。
  • 自然文化財「ウニカ採石場」は閉山となった大理石の採石場で、その中心部分は3億8千万年前のデボン紀中期の化石化したサンゴ礁で構成されている。
  • ラーン大理石博物館はデボン紀のトロピカルなサンゴ礁におけるラーン大理石の成り立ち、周辺の数多くの採石場における採掘の歴史と技術、世界中の建物や芸術作品におけるラーン大理石の使用を紹介している。この博物館は2016年からフィルマー駅前の目を惹く新しい建物に入居している。そのすぐ近くにはウニカ採石場のジオトープドイツ語版英語版が存在する。
  • プファルガルテンの1728年製の泉。2012/13年に修復された。
  • 市庁舎前の1827年製の泉。1987年に修復され、現在の場所に移された。19世紀に創られたかつての3つの大理石の泉のうち、もう一つがケルンのクプファーガッセの聖マリア教会前広場にある。
  • ヴィースバーデン博物館にはラーン大理石の数多くの例が収蔵、展示されている。さらにヴィースバーデンの豪華な建造物の多くがラーン大理石で飾られている。
  • フィルマラー・ラーンマルモール=ヴェーク(直訳: フィルマーの大理石通り)は様々な種類の大理石の採掘や加工を紹介している。
  • フィルマー産の大理石は、たとえばエンパイア・ステート・ビルディングなどに用いられた。
コンラート王記念碑

その他の見所

  • コンラート王記念碑。1894年に東フランク王コンラート1世(在位: 911年 - 918年)の立像が、ラーン川をルンケル方面に下った左岸にあるデボン紀の巨大な石灰岩「ボーデンシュタイナー・ライ」の上に建立された。
  • 都市防衛施設の遺構。1250年に初めて記録され19世紀初めまでこの町を囲んでいた市壁の遺構である。もともと3つの門と7つの塔を持つ防衛施設のうち、マテイザー門の基部とわずかな壁の跡が、特に旧ケラーライ(ワイン醸造所)付近に遺されている。ここには2つの保存状態の良いバロック様式のアーチ門(マティアス門とヴァレリウス門)がある。居住塔として13世紀に建設された代官の城は基礎壁でその姿をしのぶだけである。城と教会との間に位置するディング広場(18世紀の旧城塞広場、現在の旧墓地)には、代官が設けた裁判所があった。処刑場は町から約 2 km 南東のガルゲンベルク(直訳: 絞首台の山)にあった。ケラーライの建物は1890年に司教区建築官マックス・メッケルによって司祭館の新築に伴いイギリス風のネオゴシック様式に建て替えられた。この建物には以前の建物の塔が取り込まれている。
  • ナトゥールフロインデハウス・ヴィルヘルムスミューレおよび、フィルマーとアウメナウとの間のラーンタールハウスは、1928年および1932年の新築以降利用されている。ここには休息と息抜きを求めて多くの著名な政治家や同士が滞在した。たとえば、第一次世界大戦後1918年にベルリンで最初のドイツの共和制樹立を宣言した社会民主主義者フィリップ・シャイデマンなどである。長年 SPDの党首を務めたエーリヒ・オレンハウアー、州都ヴィースバーデンの上級市長で一時的にヘッセン州議会の議長を務めたゲオルク・ブーフもここに滞在した。ラーンタールハウスで戦前に開催されたイベントで特筆すべきは「キンダーレプブリーケン」(直訳: 子供民主主義国)である。「規律、友情、連帯」をモットーの下、百人以上の参加者のテント場が設けられた。
  • ラーン大理石博物館



  1. ^ Bevölkerungsstand am 31.12.2019
  2. ^ Franz-Josef Sehr (2016). “250 Jahre Wallfahrtskapelle Maria Hilf Beselich”. Jahrbuch für den Kreis Limburg-Weilburg 2017. Der Kreisausschuss des Landkreises Limburg-Weilburg. pp. 137–141. ISBN 978-3927006546 
  3. ^ Herzogtum Nassau, ed (1862). “Ausschreibung der Brandassecuranzbeiträge für das Jahr 1861”. Verordnungsblatt des Herzogthums Nassau. Wiesbaden. p. 45 
  4. ^ Der Hessische Minister des Inneren, ed. (1971), “Zusammenschluss von Gemeinden zur Gemeinde „Villmar“, Oberlahnkreis vom 6. Januar 1971”, Staatsanzeiger für das Land Hessen (4): 140, http://starweb.hessen.de/cache/STANZ/1971/00004.pdf#page=4 
  5. ^ Der Hessische Minister des Inneren, ed. (1971), “Gemeindegebietsreform: Zusammenschlüssen und Eingliederungen von Gemeinden vom 20. Januar 1971”, Staatsanzeiger für das Land Hessen (6): 248, http://starweb.hessen.de/cache/STANZ/1971/00006.pdf#page=16 
  6. ^ Statistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Stuttgart/Mainz: W. Kohlhammer. p. 373. ISBN 978-3-17-003263-7 
  7. ^ a b Historisches Ortslexikon : Erweiterte Suche : LAGIS Hessen - Villmar”. 2020年12月2日閲覧。
  8. ^ Michael Rademacher. “Deutsche Verwaltungsgeschichte von der Reichseinigung 1871 bis zur Wiedervereinigung 1990. Land Hessen”. 2020年12月2日閲覧。
  9. ^ Zensus 2011 - Bevölkerung nach Staatsangehörigkeitsgruppen”. 2020年12月2日閲覧。
  10. ^ Zensus 2011 - Gesamtzahl der privaten Haushalte (nach Familien)”. 2020年12月2日閲覧。
  11. ^ Zensus 2011 - Bevölkerung nach Geschlecht und Religion”. 2020年12月2日閲覧。
  12. ^ Der Hessische Minister des Inneren, ed. (1970), “Genehmigung eines Wappens und einer Flagge der Gemeinde Villmar, Oberlahnkreis vom 12. Juni 1970”, Staatsanzeiger für das Land Hessen (26): 1301, http://starweb.hessen.de/cache/STANZ/1970/00026.pdf#page=9 
  13. ^ Der Hessische Minister des Inneren, ed. (1983), “Genehmigung eines Wappens und einer Flagge der Gemeinde Villmar, Landkreis Limburg-Weilburg vom 12. Juli 1983”, Staatsanzeiger für das Land Hessen (31): 1555, http://starweb.hessen.de/cache/STANZ/1983/00031.pdf#page=3 
  14. ^ Partnerschaft Grulich: Marktflecken Villmar”. 2020年12月2日閲覧。






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