バルト海
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参考文献
- 百瀬宏、志摩園子、大島美穂『環バルト海 - 地域協力のゆくえ』岩波書店〈岩波新書 新赤版 408〉、1995年9月。ISBN 978-4-00-430408-1。
- 山内進『北の十字軍 - 「ヨーロッパ」の北方拡大』講談社〈講談社選書メチエ 112〉、1997年9月。ISBN 978-4-06-258112-7。
- ミュラー, レオス『近世スウェーデンの貿易と商人』玉木俊明、根本聡、入江幸二訳、嵯峨野書院、2006年3月。ISBN 978-4-7823-0431-0。
- 越智敏之『魚で始まる世界史 - ニシンとタラとヨーロッパ』平凡社〈平凡社新書 740〉、2014年6月13日。ISBN 978-4-582-85740-5。
- 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫『商業史』有斐閣〈有斐閣双書〉、1980年11月。ISBN 978-4-641-05617-6。
- 地学団体研究会新版地学事典編集委員会 編『新版 地学事典』平凡社、1996年10月。ISBN 978-4-582-11506-2。
- 栗生沢猛夫『図説ロシアの歴史』河出書房新社〈ふくろうの本〉、2010年5月。ISBN 978-4-309-76143-5。
- 山本茂他『地球を旅する地理の本 5 - 東ヨーロッパ・旧ソ連』大月書店、1994年3月。ISBN 978-4-272-50165-6。
- 小野有五 著「氷河性アイソスタシー」、町田貞他 編『地形学辞典』二宮書店、1981年7月、517-518頁。ISBN 978-4-8176-0023-3。
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- 武田龍夫『北欧の外交 - 戦う小国の相克と現実』東海大学出版会、1998年8月。ISBN 978-4-486-01433-1。
- 黒川祐次『物語 ウクライナの歴史 - ヨーロッパ最後の大国』中央公論新社〈中公新書 1655〉、2002年8月。ISBN 978-4-12-101655-3。
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注釈
- ^ 『新版 地学事典』(平凡社、1996年)1046頁「バルト海」の項によれば、面積42万2000 km2、平均深度55 m、最深422 m[1]。
- ^ 塩分濃度はバルト海の各所で異なっている。表面では7 ‰、海盆の低層では12-167 ‰である。カテガット海峡では207 ‰以下、ボスニア湾やフィンランド湾では37 ‰以下で、融雪期に河川からの流入量が増すとさらに下がる。特に湾の部分では、下層から外洋の海水が入り込むことで塩分濃度をかろうじて保っている[1]。
- ^ 氷河性アイソスタシー。英語版記事「Isostasy#Isostatic effects of ice sheets」を参照。
- ^ 隆起の中心にあたるのが、かつて存在した厚さ2-3キロメートル (km) の氷床の中心が位置していたボスニア湾で、9ミリメートル (mm)/年のペースである[6]。隆起は、バルト海周辺では1-10 mm/年[1]、バルト楯状地全体では5-9 mm/年[7]のペースで進み、バルト楯状地は紀元前6800年頃からの累計で約260 mも隆起したと考えられている[7]。しかし今後も200 mは隆起するとみられており、最終的に520 mは隆起すると考えられている[6]。
- ^ 『新版 地学事典』(平凡社、1996年)での説明によれば、まず2万-1万2000年前頃に、スカンディナヴィア半島を覆っていた氷床(スカンジナビア氷床)が次第に融けて後退する過程で、現在はバルト海の南部にあたる部分において淡水の湖であるバルト氷湖を形成した[9]。1万年前には湖は北海に対して開け[9]、ヨルディア海となった。8500年前には、再び湖となり(アンキルス湖またはアンシルス湖)、7500年前にリットリナ海となる。その後、4000年前頃にはリムネア海、1500年前にはマイア海となって[1]、こんにち知られるバルト海の姿に至る。
出典
- ^ a b c d e f g 「バルト海」『新版 地学事典』p.1046
- ^ “The Baltic Sea, Kattegat and Skagerak – sea areas and drainig basins” (PDF). スウェーデン気象・水文研究所 (SMHI). 2014年10月27日閲覧。
- ^ 『ヨーロッパの北の海』p.48
- ^ 『ヨーロッパの北の海』pp.20-21
- ^ 『ヨーロッパの北の海』p.104
- ^ a b 『地形学事典』pp.517-518
- ^ a b 「バルト楯状地」『新版 地学事典』p.1046
- ^ 『地球を旅する地理の本 5』pp.166-167
- ^ a b 「バルト氷湖」『新版 地学事典』p.1047
- ^ 『物語 ウクライナの歴史』pp.32-33
- ^ 『中世ヨーロッパの歴史』pp.130-131
- ^ 『魚で始まる世界史』p.74
- ^ 『ハンザ「同盟」の歴史』pp.104-105
- ^ 『北の十字軍』p.274
- ^ 『魚で始まる世界史』p.79
- ^ 『商業史』p.122
- ^ 『近世スウェーデンの貿易と商人』pp.7-27
- ^ 『近世スウェーデンの貿易と商人』pp.39-48
- ^ 『図説ロシアの歴史』p.62
- ^ 小町文雄『サンクト・ペテルブルグ』中央公論新社、2006年、12-14頁。
- ^ 『北欧の外交』pp.15-26
- ^ 『北欧の外交』pp.77-82
- ^ “Statistische Kurzinformation (ドイツ語)” (PDF). Landeshauptstadt Kiel. Amt für Kommunikation, Standortmarketing und Wirtschaftsfragen Abteilung Statistik. (2012年7月5日). 2012年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月11日閲覧。
- ^ 『東欧を知る事典』p.390
- ^ “オーランド諸島 - フィンランド大使館・東京 : フィンランドについて : オーランド諸島”. フィンランド大使館・東京. 2019年3月2日閲覧。
- ^ 廣瀬陽子(旧ソ連地域研究) (2011年11月16日). “独露のノルド・ストリームの開通 - その背景と駆け引き”. SYNODOS 2014年11月12日閲覧。
- ^ 『環バルト海』pp.32-36
- ^ a b 菊池隆之助「バルト海における環境保護の経緯」『環境技術』第2号、環境技術学会、1999年2月20日、148-150頁、doi:10.5956/jriet.28.148、NAID 10029246157。
- ^ 佐伯富樹「バルト海域の海洋環境保護に関する条約」『中京大学教養論叢』第15巻第4号、中京大学、1975年3月31日、1091-1105頁、ISSN 0286-7982、NAID 110004642161。
- ^ https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hj1391;view=1up;seq=60
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