バリ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 00:51 UTC 版)
経済と観光 - バリ島経済を支える観光業
産業区分 | 金額 | % |
---|---|---|
農林漁業 | 6,011,426 | 20.7% |
採鉱・採石業 | 196,471 | 0.7% |
製造業 | 2,610,131 | 9.0% |
電気・ガス・水道業 | 522,533 | 1.8% |
建設業 | 1,132,719 | 3.9% |
商取引、ホテル、レストラン | 8,452,944 | 29.2% |
通信輸送業 | 3,275,453 | 11.3% |
金融業 | 1,969,622 | 6.8% |
サービス業 | 4,815,272 | 16.6% |
合計 | 28,986,595 | 100.0% |
芸能・芸術の島として知られ、かつ早くからビーチ・リゾートが開発されてきたバリは世界的な観光地となっており、東南アジア各地のビーチ・リゾートのモデルとなっている。先進国の経済的価値を基準として比較すると物価水準がかなり低廉であり、比較的若年層でも十分楽しめることも人気の一要素である。訪れる観光客で一番多いのは、かつては日本人であったが、現在はオーストラリア人である[注釈 13]。したがって、バリ島の貨幣経済は観光収入で成立するものとなっており、財政面でもバリ州の収入の3分の2が観光関連によるものとなっている[注釈 14]。
バリ島は古くから農業中心であったが、バリ州の産業部門別就業人口の推移を見てみると、1971年には農林漁業が66.7%、商業・飲食・ホテル・サービス業が18.8%であり、1980年でも農林漁業が50.7%、商業・飲食・ホテル・サービス業が29.8%であったのが、2004年には農林漁業が35.3%にまで減少し、商業・飲食・ホテル・サービス業が36.4%に達している[54]。農民の平均月収が50ドル(約5,000円)未満であるのに対して、観光業従事者のそれは50 - 150ドル(約5,000 - 1万5,000円)に達する[55]。バリ州全体の域内総生産高でみると、農業はなお全体の20%以上を占め、観光業もバリ州のフォーマルな経済活動の40%を占めるに至っており、また、工芸品の輸出額は年額15億ドル以上に上る[56]。
農業
先に述べたようにバリ島経済の中心には農業(水田耕作)が伝統的に位置してきた。世界的な観光地として成長した後でもなお、30%以上が農林漁業に従事している。スハルト体制以来の観光開発が南部バリの一部地域で集中的に行われたためである。水田耕作のほかには、ココナッツやコーヒーの栽培が盛んであり、樹園地ではバナナ、オレンジ、マンゴーが、畑では大豆、サツマイモ、落花生、キャベツ、トマトなどが栽培されている[57]。
また、1985年から2004年の間にバリ州における水田の面積は9万8,830ヘクタールから8万2,053ヘクタールへと減少し、その分、屋敷地および建築用地は2万7,761ヘクタールから4万5,746ヘクタールへと増加しており、水田の宅地化が進んでいることが分かる(しかし、この間の収穫量は品種改良によって増加している)[58]。こうした中で、土地所有層は地価の上昇によるさまざまな利殖の機会を手にするようになっているが、他方でスバックのメンバーの圧倒的多数を占める小作人にとっては、農地の宅地化、近代化は失業を意味し、深刻な問題となっている[注釈 15]。
観光業 - 主な観光地と観光産業
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島南部のビーチ・リゾート
既に見たように、バリ島の観光開発は、1969年のデンパサール国際空港の開港によってマス・ツーリズム向けの大規模開発が始まり、当初は、サヌールとクタが観光の目玉となった。1980年代に入ると、ヌサ・ドゥアで高級リゾート向けの計画的な開発が進められ、1990年代に入ると、開発の波はこれらの地域を越えるようになり、主にクタの南北に広がり、スミニャック、レギャン、ジンバランからタンジュン・ブノアに至るまで、沿岸部に広大な観光地帯が形成されるようになった。スミニャックの北部には、タナロット寺院が位置している。サヌールやクタでは、爆弾テロ事件前後から当局と現地社会による治安維持のための取り締まりが進み、屋台なども排除されるようになっている。
バリ島は、これら島南部の海岸を舞台としたサーフィンの名所となっており、乾季・雨季を問わず良質な波を求めて世界各国からサーファーが訪れている。サーフポイントも多く波質もさまざまである。最近ではサーフィンで生計を立てている者も多く、サーフショップやサーフガイド、またはサーフィン関連のスポンサーから収入を得ているプロサーファーも多い。
州都デンパサール
州都デンパサールは、現地社会の商業中心地域であり、現地住民の通うショッピング・モール(バリ・モール、マタハリなど)、市場(手工芸品、織物市場のパサール・クンバサリや中央食品市場のパサール・バドゥンなど)、レストラン、公園が数多くある。その他、バリ州国立博物館やププタン広場などの観光地もある。
ウブド、山岳地帯
他方で、山側へ向かえば、山側のリゾート地域としてのバリ島の姿を見ることができる。その代表がウブドである。この「芸術の村」はオランダ植民地時代から知られており、今日では、質の高いバリ舞踊やバリ・アート、バティックなどの染色技術、竹製の製品など、伝統的な文化や民芸品の数々を目にすることができる。ウブド南部には、木彫の村マスも栄えている。またここ、水量豊富なアユン川では、ラフティングが盛んである[59]。
こうした山あいの地域では、物質文明・近代文明のしがらみに疲れた西洋人や日本人が長期滞在しバリの文化を学んで行くケースも多く、数か月から数年バリに滞在する者たちの中には、絵画、音楽、彫刻、ダンスなどを学び、さらには独自の芸術的な活動を始める人々も見られる。ウブドには、ダルム・アグン寺院の位置するモンキーフォレストや、ネカ美術館などの美術館も建てられている。
そして、バトゥール山のそびえるバリ中部の山岳地帯は、キンタマーニ高原、ブラタン湖、タンブリンガン湖やジャティルウィの棚田など、バリ島の自然の骨格が表れた地域となっている。
島東部、北部
また、島の東部、北部の海岸地帯でも、1970年代以降ビーチ・リゾートとして静かに開発が進んでいる地域がある。代表的なのは、バリ島東部のチャンディダサ、アメッド、バリ島北部のロヴィナ・ビーチ、バリ島北西部のプムトゥランなどである。これらの地域は、スキューバダイビング、シュノーケリングのスポットとして有名な海辺が複数ある。その中で、バリ島東部のトランベンでは、日本軍の攻撃によって座礁したアメリカの輸送船リバティ号が、その後の火山噴火で海底に沈んでおり、ダイバーの間では非常によく知られている。
また、バリ島東部にはアグン山およびブサキ寺院が、島北部には、旧都シガラジャの港町も位置している。
投資
観光およびその周辺産業に牽引される形で、バリ島への不動産投資・運用が盛んとなり、2000年から2012年の間は年平均で20%程度の地価上昇が続いた[60]。不動産投資家の7割はインドネシア国内の富裕層であり、残り3割が海外投資家(法人および個人)である[60]。その一因に、2008年の世界的金融危機(いわゆるリーマン・ショック)によって、世界の資金が有望な投資先を探してバリの不動産市場に流入した背景がある[60]。しかしながら2012年から2018年にかけては地価の横ばいが続いた。その理由として、不動産投資の需給が崩れたことに加え、外国人向けの住宅ローンが規制の対象となったことが挙げられる[60]。
2018年7月には、おもに日本人向けにバリ島への不動産投資や金融商品販売などの名目で、元本保証と高配当を偽って、無許可で11億円を集めたとして、出資法違反容疑でアスナグループの日本人幹部らが、千葉地方検察庁および千葉県警察によって逮捕される事件も起こった[61][62]。
注釈
- ^ 1963年~1964年の大噴火で200メートル以上も低くなった[1]。
- ^ 各数値は、1961年 - 1990年の30年間の平均[3]。
- ^ 例えば、1930年に出版されたヒックマン・ポーウェルの旅行記が『最後の楽園――あるアメリカ人の1920年代のバリの発見[19]』 と題されている。
- ^ 日本軍の占領統治については、倉沢 (2009: 13-23) を参照。
- ^ バドゥン県ブルブンガン・シバン村には、ングラライと共に玉砕した荒木武友・上等兵曹と松井久年・兵曹長を祀った慰霊塔が建てられている。残留日本兵、平良定三の評伝(坂野 2008)も参照。
- ^ ヴィッカーズは、オランダ植民地政府によるオリエンタリズムに基づいたバリの画一的イメージ化が、インドネシア政府の開発計画の中でも採用され、そのイメージが強化されることになり、結果として、西欧人によるバリのイメージと現地人のバリのイメージとが峻別不可能になるまでの過程を明らかにしている[27]。
- ^ 例えば、星付きのホテルとリゾートの管理は中央政府が直接行い、四つ星、五つ星ホテルのサービス税と政府税(税率21%)も全てジャカルタに流れている[29]。
- ^ ちなみに、バリ島には王国時代から「バリ・スラム」と呼ばれるイスラム教徒の共同体が存在しており、バリ社会は必ずしもイスラムを排斥してきた訳ではない。むろん王国の儀礼秩序の構成要素からは排除されてはいたが、交易や軍事といった分野でイスラム教徒を受け入れ、彼らの宗教の存在を認めていたのである[33]。
- ^ この点については、キャロル・ウォレンが詳細なモノグラフをまとめている[34]。
- ^ 2004年のバリ州統計 (Bali Dalam Angka) では、デンパサール市人口の14.8%(56,210人)がイスラム教徒となっている(バリ州全体では、186,613人、5.9%)。
- ^ 井上ひさしは「バリは農業と芸能と宗教の島である。大切なのは、一人一人の人間がそれぞれ農業人と芸能人と宗教人との三つの人格を一身に兼ねていることで、宮沢賢治が見たらおそらく涙を流してよろこんだであろう」と「演ずるバリ島」で書いている[39]。
- ^ 数値は時価水準[50]。
- ^ 2012年統計[51]では、第1位オーストラリア799,897人、第2位中国317,165人、第3位日本188,711人。欧州からは635,301人。2004年統計[52]では、第1位日本325,849人、第2位オーストラリア267,338人、第3位台湾183,624人である。
- ^ しかし、『バリ・ポスト』の調査では、実際のところ観光収入の80%は島外に流れてしまっているという[53]。
- ^ 女性の就労については、中谷 (2003) を参照。
- ^ 麻薬犯罪件数は、2006年が578件、2007年が699件と増えており[65]、日本人旅行者を含む外国人旅行者が大麻等の麻薬所持の容疑で逮捕されるケースも増えている。
- ^ ちなみに、日本のバブル経済期において、バリの外国人観光客のうち日本人が占める割合は20%程であったのに対して、日本人が土産物に落としたカネは、全体の半分を占めたとも言われる[70]。
- ^ 2007年のバリ島犯罪件数は5,472件(検挙率64.9%)となり、2006年の犯罪件数5,759件(検挙率65.5%)と比べ、犯罪数が5%減少している[65]。
出典
- ^ 石弘之著『世界史の鏡1 歴史を変えた火山噴火 ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 22ページ
- ^ 詳細は、吉原 (2008) を参照。
- ^ 世界気象機関(WMO)のデータによる。
- ^ 1990年統計 (Statistik Propinsi Bali 1991: 2-6) による。
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- ^ 詳しくは、Mason & Jarvis (1993) を参照。
- ^ 詳細は、Tony, Soeriaatmadja, Emon & Suraya (1997: 58ff.) を参照。
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- ^ Geertz (1980=1990: 12)。
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- ^ 今野 (2008: 62)
- ^ Dahles 2001: 32
- ^ 詳しくは、山下 (1999)、鏡味 (2000) を参照。
- ^ 各年のBali Dalam Angkaによる。
- ^ 伊藤 (2009: 230-2)
- ^ Vickers 1987
- ^ Warren 1993
- ^ 詳しくは、吉原 (2008) を参照。
- ^ Geertz (1963: 84-5)
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- ^ Picard (1990: 56-8)
- ^ 以上、詳しくは、Eiseman (1989: 322-332)
- ^ 梅田(2009)
- ^ 「多くの店で外国人観光客のカメラにさらされて「見せ物」になっている芸術家たちの造るのは、店の主人が指示した、売れ筋のものばかりである。……ある店の彫刻家は、もう6ヵ月もアヒルばかり彫っているとこぼしていた。彼の友人は、この4年間、鳥ばかりだという。……彼らはほとんど、製造機械なのだ」(Setia 1986=2007: 279)。
- ^ Setia (1986=2007: 290, 301)
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- ^ “11億円不正集金容疑 バリ島への投資名目 7人逮捕”. 朝日新聞デジタル (2018年7月5日). 2019年2月9日閲覧。
- ^ “バリ島投資で十数億円不正集金か 出資法違反容疑で「アスナグループ」関係先捜索 千葉地検・県警”. 産経ニュース (2018年2月1日). 2019年2月9日閲覧。
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- ^ 外務省海外安全ホームページ(2008年6月26日更新情報)による。
- ^ a b Bali Post, 2008年1月2月号
- ^ “麻薬密輸の英女性に死刑判決、「酌量の余地なし」とバリ地裁”. AFPBB News (MSN). (2013年1月23日) 2013年2月10日閲覧。
- ^ 彼らの本来の仕事は、「契約婚」である。すなわち「バリの中で客が行きたいところなら、どこへでもついていく。この陽に焼けた若者は道の案内人であり、ガイドであり、……運転手であり、ベッドを共にする友人である。そして、客が国へ帰るときに、彼らは報酬を受け取る」 (Setia 1986=2007: 325) 。
- ^ 『毎日新聞』3月21日号
- ^ 例えば、伊藤 (2008: 189) など。
- ^ 山下 1999: 143
- ^ 山下 (1999: 157)
- ^ 詳細は、菱山 (2008) を参照。
- ^ 吉原 (2008: 254)
- ^ 吉原 (2008: 417-8)
- ^ “インドネシア・バリ島の刑務所で暴動、外国人受刑者を避難へ”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年2月24日) 2012年2月26日閲覧。
- 1 バリ島とは
- 2 バリ島の概要
- 3 生活と宗教 - バリ・ヒンドゥーの世界
- 4 文化と芸術 - 観光文化としての伝統文化
- 5 経済と観光 - バリ島経済を支える観光業
- 6 交通
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