スキクダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 08:14 UTC 版)
歴史
フェニキア人が都市を築いた。
古代ローマがその上に都市を築き、「ルシケード」と名付けた。 カルタゴ語で「火の岬」を表す。
1838年、コンスタンティーヌの港として、フランスが「フィリップヴィル(Philippeville)」と名付け都市を築いた。 コンスタンティーヌ・スキクダ鉄道が設置された。[1]
1911年、ベデカーは「アルジェリアの最も若い海港」と記した。[1]
第一次世界大戦勃発直後の1914年8月4日、フィリップヴィルはドイツの巡洋戦艦ゲーベンにより砲撃を受けた。この時、近郊のボーヌも軽巡洋艦ブレスラウにより砲撃されている。
第二次世界大戦終盤、連合国救済復興機関(UNRRA)のジャンヌダルク難民キャンプがスキクダに設置された。 1945年1月25日、南北アメリカの市民権を持つ200人のユダヤ人が、捕虜交換の為にベルゲン・ベルゼン強制収容所からスイスに送還された。 彼らは後にスキクダの難民キャンプに送られた。[3]
1955年、アルジェリア戦争の中でアルジェリア民族解放戦線(FLN)がスキクダを攻撃し、123人の市民が殺害された(フィリップヴィルの戦い)。多くはフランス人とその協力者と見做された者達だった[4]。虐殺に激怒したフランスはFLNへの攻撃を強めた。フランスによる報復で1200人(フランス発表)~1.2万人(FLN発表)が殺害された。
1970年代、天然ガス、石油精製、石油化学工業が発展し、パイプラインが建設された。
1989年2月15日、悪天候の中でオランダのタンカーのマースルイス号が、翌日のドック入りに備えて港外に停泊していた。 しかし、碇が外れ船は港に激突した。 この災害で乗員29人の内27人が死亡した。[5]
2004年1月19日、LNG施設で爆発火災が起き、29人が死亡し、9.4億ドル(当時のレートで約1000億円)の被害を出した。 これは世界のLNG取引量の2%に相当する。
2014年のマーシュ報告書で、2004年の事故は炭化水素産業の事故で歴代3位の規模と発表された。
- ^ a b “Philippeville, Algeria”. World Digital Library (1899年). 2013年9月26日閲覧。
- ^ “EARTHQUAKE SHOCK IN ALGERIA”. New York Times. (1883年10月10日)
- ^ source Page at Holocaust database
- ^ Ben Abro, Assassination! July 14, University of Nebraska Press (2001), p251
- ^ Website Nieuwsdossier on Sinking of Maassluis, retrieved 3 August 2010
- ^ “Climate Normals for Skikda”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2016年3月27日閲覧。
- ^ “Klimatafel von Skikda (Philippeville) / Algerien” (German). Baseline climate means (1961-1990) from stations all over the world. Deutscher Wetterdienst. 2016年3月27日閲覧。
- スキクダのページへのリンク