コルネリウス・グルリット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 04:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動コルネリウス・グルリット Cornelius Gurlitt | |
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基本情報 | |
生誕 | 1820年2月10日 |
出身地 |
デンマーク ホルシュタイン公国 アルトナ |
死没 |
1901年6月17日(81歳没) ドイツ帝国 アルトナ |
職業 | 作曲家、オルガニスト |
ホルシュタイン公国のアルトナに生まれ、カール・ライネッケの父ヨハン・ルドルフ・ライネッケに音楽を学んだ[1]。後にライプツィヒ音楽院でライネッケの同級生になった。17歳で公開演奏を行い、そのときの評価によってコペンハーゲンに赴くことになった。同地ではクリストフ・エルンスト・フリードリヒ・ヴァイセ (C.E.F. Weyse) らにピアノやオルガン、作曲を師事、またニルス・ゲーゼの面識を得て、生涯の親交を結んだ。1842年よりコペンハーゲン近郊のヒルシュホルム (Hørsholm) に4年間滞在。その後ライプツィヒに戻り、それから兄ルイスが絵を学んでいたローマに渡った。サンタ・チェチーリア国立アカデミアより名誉会員に選ばれ、1855年に音楽教授の称号を得て同アカデミアを修了。アルトナに戻り、アウグステンブルク公の3人の姫君の家庭教師を務め、1849年にデンマーク・プロイセン・オーストリア帝国の間で第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発すると、デンマーク陸軍軍楽隊の指揮者を務めた。
歌曲やピアノ曲から、カンタータ、歌劇、交響曲までおびただしい数の作品を残しているが、今日ではピアノの初心者のために書かれた、サロン・ピースの形をとる一連の練習曲がかろうじて知られているに過ぎない。ほかに「おもちゃの交響曲」や6手のためのピアノ曲などがある。
オペラ作曲家で指揮者のマンフレート・グルリットの大叔父にあたる[1]。
脚注
外部リンク
- グルリット, コルネリウス - ピティナ・ピアノ曲事典
- コルネリウス・グルリットの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト。PDFとして無料で入手可能。
- 1 コルネリウス・グルリットとは
- 2 コルネリウス・グルリットの概要
固有名詞の分類
ロマン派の作曲家 |
ムツィオ・クレメンティ パブロ・デ・サラサーテ コルネリウス・グルリット マヌエル・インファンテ ヨアヒム・ラフ |
ドイツの作曲家 |
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル ヴィンツェント・リューベック コルネリウス・グルリット コンラディン・クロイツァー ヴェルナー・エック |
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