カール・ゴッチ プロレスラーとして

カール・ゴッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 07:22 UTC 版)

プロレスラーとして

  • レスリングの技術とトレーニングに対する拘りから、日本では尊敬を集めている。インドクシュティ、日本の柔道ロシアサンボを含む世界中のあらゆるレスリングに精通しており、「朝目覚めてから夜眠るまで常に素手でいかに効率良く人を殺せるかを考え続けている」と言われている。
    • ゴッチはレスリングを最も古く、最も難しいスポーツと考えており、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(Catch As Catch Can, CACC)をレスリングの中で最強のスタイルとしている。打撃を含む総合格闘技に関しては一貫して否定的である。
    • ゴッチの行うトレーニング方法はインドに由来するものが多い。レジスタンストレーニングとしてはフリーウエイトを使うことは好まず、自重によるトレーニングを多用している。マクチグが提唱した理論「マッスルコントロール」に傾倒しており著書『カール・ゴッチの肉体鍛錬哲学』では「人間は前に32個、後ろに28個の筋肉を持っている。彼は負荷器具を一切使わずに、ある一つの動作に必要な筋肉だけに意識を集中させ、それを緊張させることで身体をつくったんだ」と述べている。
    • 柔道出身のプロレスラーであった木村政彦とゴッチは友人であった。ゴッチはグレイシー柔術については「自分も知っている昔の柔道以上のものではない」と語っており、あまり評価していない。
    • ゴッチは宮本武蔵を尊敬しており、五輪書を愛読している。武蔵の心境に近づくために、プロレスラーとして試合をすることがなくなってもトレーニングを続けていた。
    • 左手の小指の大部分を欠損している。この欠損の原因は、レスリングとは関係ない事故とされている。本人の弁では船員時代折れた船の煙突が友人を下敷にしそうになったのを庇って失ったとのことである。
  • ゴッチのファイトスタイルは、レスリング技術を主体とする「正統派」で、派手さが無く、興行が盛況に至らないという理由から、一部プロモーターには煙たがられていた。見る人間によって「独り善がりでプロレスを理解していない人間」か「妥協無き真のプロレスラーでありシューター」という風に、評価が真っ二つに分かれるプロレスラーである。プロレスラー間でも、日米問わず賛否が分かれており、ルー・テーズやビル・ミラーから高い評価をされている一方、新日本プロレスの道場での稽古で再会したザ・グレート・カブキはゴッチが関節を極める際に指を眼に入れるなどの妥協なき「技術」を駆使して来るために「ずるい」と語り、ジャイアント馬場も「コーチとしての腕は認めても良いが、レスラーとしては駄目」と発言している。新間寿は「自分の世界を自分で作って入り込んでしまい、対外的な窓口を開こうとはしなかったレスラー」とゴッチを評しており「”プロレスの神様”ではなく”トレーニングの神様”」と考えている[10]
  • ゴッチがルー・テーズの保持するNWA世界ヘビー級王座に6回目の挑戦をした試合(1964年5月2日、ミシガン州デトロイト)において、ゴッチはテーズからバックドロップを仕掛けられた時に、自分の体重をテーズにあずけ、テーズの肋骨5本を骨折させた。テーズはダブルリストロックで試合には勝ったものの、この骨折から回復するのに7か月間かかり、特に骨折直後の2か月間は、後に人生で最悪の時間であったと語るほど苦しんだ。テーズはゴッチがこの試合でダブルクロスを試みて自分を傷付けたと信じており、そのことが2人の仲違いにつながったとも言われている[要出典]流智美によれば、ゴッチはテーズのバックドロップを受けることを拒み、テーズの右腕を脇固めに返して、更に肋骨を3本骨折させたとある。試合はテーズがドロップキックの連発と言うラフ殺法でゴッチにリングアウト勝ちしたが、世界王者テーズは10日間の入院でサーキットを休む羽目になり、興行上大きな損害を出すことになった。これに怒ったテーズは翌日見舞いに訪れたゴッチを「なぜこんな馬鹿な真似をしたんだ!理由を言ってみろ!」と問い詰めたが、ゴッチは「I just forgot myself(無我夢中でやってしまった)…」と申し訳なさそうに呟くだけで、テーズは怒る気も失せてしまったと言う[18]
  • ゴッチのジャーマン・スープレックス・ホールドはもっとも軌道が美しいと称えられており、この技で投げられるレスラーは、ある意味勲章の様な物であった。
  • ゴッチのライバルは数多い。ビル・ロビンソンドン・レオ・ジョナサンなど多くのライバルと戦って来たが、最強のライバルと言うと「鉄人」ルー・テーズを置いて他に無い。1961年から1964年までに9度戦い、ゴッチの0勝5敗4分[19][出典無効]。なおゴッチはテーズに対してライバル心と同様、ある種の憧れも抱いており、敢えてテーズと同じ様なファイティングポーズを取っていたと言う。

注釈

  1. ^ 東京都荒川区の豊国山回向院に墓碑があり、本名はカール・イスターツと刻まれている(G SPIRITS Vol.46)
  2. ^ ゴング格闘技』(日本スポーツ出版社)2007年1月号のインタビューにおいて、ゴッチはベルギーで生まれ、16歳の時に仕事を求めてブリュッセルからドイツへ移り住んだと述べている。また、『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社)2007年8月15日号に掲載された斎藤文彦による追悼寄稿において、ゴッチ自身は「ベルギーのアントワープ生まれ」と話していたことが記されている。
  3. ^ World Olympians Associationに1924年8月3日生まれのベルギー代表選手として"Karel Istaz"の名が記載されている。Olympic Games MuseumのOfficial Reportでは、"Istaz, K."はグレコローマンおよびフリースタイルレスリングのライトヘビー級に出場している。また、「ゴング格闘技」(日本スポーツ出版社)2007年1月号のインタビューにおいて、ゴッチも同大会への出場を認めている。
  4. ^ この改名はMWAのプロモーターであったアル・ハフトの意向によるものと言われている(ハフトはかつてヤング・ゴッチというリングネームのプロレスラーであった)。また、試合をする地方によって、「クラウザー」と「ゴッチ」を使い分けていた時期もある。
  5. ^ "Wrestlingdate.com"のレコードによれば、日本プロレスに来日する以前に既に「カール・クラウザー」や「カロル・クラウザー」を名乗っている。また1953年にドイツで既に「カール・ゴッチ」を名乗っている。(Wrestlingdata.com
  6. ^ ロジャースは、巡業先に中傷ビラが撒かれる事件があったり、防衛戦を行う地域が偏っているなどの不満を持たれていた。また、ルー・テーズフレッド・ブラッシーも自伝においてロジャースの性格を批判している。
  7. ^ An Exclusive Interview with Rene Gouletにおいて、レネ・グレイがゴッチとタッグを組んだいきさつを語っている。
  8. ^ A Letter From Karlにゴッチ自筆の手紙が掲載されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Karl Gotch”. Wrestlingdata.com. 2023年11月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Karl Gotch”. Cagematch.net. 2023年11月21日閲覧。
  3. ^ a b c SPECIALIST: List of Deceased Wrestlers for 2007 with Details (Updated as needed)”. Pro Wrestling News & Analysis. 2023年11月21日閲覧。
  4. ^ 前田日明と獣神サンダー・ライガー!待望の対談が実現!”. 前田日明チャンネル (2021年4月30日). 2023年1月25日閲覧。
  5. ^ Scientific Wrestling参照。
  6. ^ The AWA matches fought by Karl Gotch in 1961”. Wrestlingdata.com. 2022年5月30日閲覧。
  7. ^ a b WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  8. ^ a b WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2022年4月7日閲覧。
  9. ^ 『プロレスPLAYBACK』東京スポーツ 2017年5月23日(22日発行)付6面
  10. ^ a b c 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p20-21
  11. ^ 『Gスピリッツ Vol.30』P59-60(2014年、辰巳出版ISBN 4777812669
  12. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月10日閲覧。
  13. ^ 『Gスピリッツ Vol.63』P20(2022年、辰巳出版ISBN 4777828964
  14. ^ a b Matches: Karl Gotch 1971-1982”. Cagematch.net. 2023年11月21日閲覧。
  15. ^ 【国際プロレス伝】失意のカール・ゴッチは「国際のリング」で蘇った
  16. ^ 新日本プロレスオフィシャルWEBサイトの選手名鑑参照。
  17. ^ Olympic Games Museumの同大会Official Reportに"Istaz"の名は記載されていない。
  18. ^ 別冊宝島120『プロレスに捧げるバラード』(1990年 宝島社)p.190-191. ISBN 4796691200
  19. ^ rewens2659 (2017年2月14日). “ルー・テーズVSカール・ゴッチの対戦成績”. Yahoo! JAPAN. 2017年8月14日閲覧。
  20. ^ NWA Eastern States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  21. ^ AWA World Heavyweight Title [Indiana / Ohio]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  22. ^ IWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  23. ^ The WWE matches fought by Karl Gotch in 1972”. Wrestlingdata.com. 2022年4月7日閲覧。
  24. ^ 平直行『平直行の格闘技のおもちゃ箱』(2006年、福昌堂)pp.109-111. ISBN 4892247979
  25. ^ アントニオ猪木ら出席、カール・ゴッチさん納骨式”. 日刊スポーツ. 2023年11月21日閲覧。






固有名詞の分類

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アマチュアレスリング出身のプロレスラー 鈴木みのる  スコット・スタイナー  カール・ゴッチ  ラーズ・アンダーソン  新崎人生
日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー ジェリー・ブリスコ  ジョン・トロス  カール・ゴッチ  ラーズ・アンダーソン  ウイルバー・スナイダー
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