カール・ゴッチ エピソード

カール・ゴッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 14:44 UTC 版)

エピソード

  • 1986年「INOKI 闘魂 LIVE」前田日明vsドン・中矢・ニールセン戦のセコンドとしてUWFサイドの招きで来日した際、「これまで何度も飛行機で日本に来ているが、ファーストクラスを用意してくれたのは初めてだ。ありがとう」とコメントした。これをUWFサイドは、「プロレスの神様と持ち上げておきながら、これまで関わった団体はその程度の扱いしかしなかった!」と、雑誌などで喧伝した。しかし、後にゴッチが第2次UWFの顧問から外れた際、実は新日も日本に呼ぶ際はファーストクラス料金を送金していたのに、ゴッチ自らが下のクラスの座席を取って来日していた事が明かされた。
  • 第一次UWF崩壊後も、来日の度に団体が用意したホテルではなく第一次UWFの社長であった浦田昇の家に宿泊していた。これは、1996年5月に浦田が修斗コミッショナーに就任した後に受けたインタビューで述べている。
  • 日本プロレスに来日した際、が痛くなったゴッチは「歯があるから痛くなる」と言い張って、歯医者に無理矢理痛くない歯も含めて全部の歯を抜かせたという。さすがに無理が祟り、体調が悪化して練習を休みにせざるを得なくなり、猛特訓に辟易していたレスラー連中を大喜びさせたという。
  • 渕正信が雑誌『Gスピリッツ』(『週刊ゴング』の後継誌の一つ)に語ったところによると、渕がゴッチの元で修業していた1982年に「新日本とは何の契約もないので全日本が呼んでくれるのなら行ってもいい」とゴッチが言い出し、ちょうど米国遠征中だった馬場も興味を示し、馬場はゴッチとビル・ロビンソンのコンビでの世界最強タッグ決定リーグ戦参加を考え、ゴッチも了承したが実現しなかった。このゴッチ全日本登場は、「新日本の象徴であるゴッチを全日本が引き抜いてどう使うかが非常に難しい」ということなどから幻に終わった。渕によるとゴッチは馬場のことを「あの身体の大きさであれだけ動けて身体も柔らかいのは素晴らしい」と語っていたという。
  • ルー・テーズはゴッチについて晩年に「彼の動きはロボットを連想させる」と述べたことがある。
  • 死去する直前、テレビの取材で坂口征二とともに自宅に訪れた、彼の息子であり、俳優の坂口憲二に「ゴッチ式トレーニング」を直接指導した。当初、憲二は、10分程度の練習のつもりだったが、ゴッチの指導に熱が入り1時間以上練習するハメに。
  • アントニオ猪木が自他共に認めるゴッチの弟子としてレスラーとして尊敬していたこと、新日本プロレス旗揚げの際にNWAから締め出されていた新日に実力あるレスラーをブッキングしたことは有名だが、猪木自伝によれば「新日旗揚げ時のブッカー料は業界抹殺のリスクに見合う巨額を請求してきた」「ギャラの札の枚数を目の前で数えられた」として、金銭にシビアな面に猪木が幻滅した描写がある。
  • 現時点で判明している中では1959年に限った事ではあるが、フランス人ギミックのピエール・レマリン(もしくはピエール・ラマリン)としてカナダやボストン、シカゴで計20試合闘っている。
  • 生前ゴッチは、人間の遥か昔の先祖となる生物は海から来たものであり、また海に帰らねばならないとの考えから、死後ゴッチの側近等で話し合い、遺灰の大部分は長年住んだオデッサの湖に、御婦人の遺灰と共に散灰されたが、また弟子たちが多く住み大好きな日本の土地に足を踏み入れたい強い思いがあり、残された遺灰の一部をジョーマレンコと西村修の手によって没後10年の際に東京都荒川区の回向院に、遺灰となり来日し埋葬された。アントニオ猪木と西村修が発起人となり、墓地設立に成功した[25]

注釈

  1. ^ 東京都荒川区の豊国山回向院に墓碑があり、本名はカール・イスターツと刻まれている(G SPIRITS Vol.46)
  2. ^ ゴング格闘技』(日本スポーツ出版社)2007年1月号のインタビューにおいて、ゴッチはベルギーで生まれ、16歳の時に仕事を求めてブリュッセルからドイツへ移り住んだと述べている。また、『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社)2007年8月15日号に掲載された斎藤文彦による追悼寄稿において、ゴッチ自身は「ベルギーのアントワープ生まれ」と話していたことが記されている。
  3. ^ World Olympians Associationに1924年8月3日生まれのベルギー代表選手として"Karel Istaz"の名が記載されている。Olympic Games MuseumのOfficial Reportでは、"Istaz, K."はグレコローマンおよびフリースタイルレスリングのライトヘビー級に出場している。また、「ゴング格闘技」(日本スポーツ出版社)2007年1月号のインタビューにおいて、ゴッチも同大会への出場を認めている。
  4. ^ この改名はMWAのプロモーターであったアル・ハフトの意向によるものと言われている(ハフトはかつてヤング・ゴッチというリングネームのプロレスラーであった)。また、試合をする地方によって、「クラウザー」と「ゴッチ」を使い分けていた時期もある。
  5. ^ "Wrestlingdate.com"のレコードによれば、日本プロレスに来日する以前に既に「カール・クラウザー」や「カロル・クラウザー」を名乗っている。また1953年にドイツで既に「カール・ゴッチ」を名乗っている。(Wrestlingdata.com
  6. ^ ロジャースは、巡業先に中傷ビラが撒かれる事件があったり、防衛戦を行う地域が偏っているなどの不満を持たれていた。また、ルー・テーズフレッド・ブラッシーも自伝においてロジャースの性格を批判している。
  7. ^ An Exclusive Interview with Rene Gouletにおいて、レネ・グレイがゴッチとタッグを組んだいきさつを語っている。
  8. ^ A Letter From Karlにゴッチ自筆の手紙が掲載されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Karl Gotch”. Wrestlingdata.com. 2023年11月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Karl Gotch”. Cagematch.net. 2023年11月21日閲覧。
  3. ^ a b c SPECIALIST: List of Deceased Wrestlers for 2007 with Details (Updated as needed)”. Pro Wrestling News & Analysis. 2023年11月21日閲覧。
  4. ^ 前田日明と獣神サンダー・ライガー!待望の対談が実現!”. 前田日明チャンネル (2021年4月30日). 2023年1月25日閲覧。
  5. ^ Scientific Wrestling参照。
  6. ^ The AWA matches fought by Karl Gotch in 1961”. Wrestlingdata.com. 2022年5月30日閲覧。
  7. ^ a b WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  8. ^ a b WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2022年4月7日閲覧。
  9. ^ 『プロレスPLAYBACK』東京スポーツ 2017年5月23日(22日発行)付6面
  10. ^ a b c 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p20-21
  11. ^ 『Gスピリッツ Vol.30』P59-60(2014年、辰巳出版ISBN 4777812669
  12. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月10日閲覧。
  13. ^ 『Gスピリッツ Vol.63』P20(2022年、辰巳出版ISBN 4777828964
  14. ^ a b Matches: Karl Gotch 1971-1982”. Cagematch.net. 2023年11月21日閲覧。
  15. ^ 【国際プロレス伝】失意のカール・ゴッチは「国際のリング」で蘇った
  16. ^ 新日本プロレスオフィシャルWEBサイトの選手名鑑参照。
  17. ^ Olympic Games Museumの同大会Official Reportに"Istaz"の名は記載されていない。
  18. ^ 別冊宝島120『プロレスに捧げるバラード』(1990年 宝島社)p.190-191. ISBN 4796691200
  19. ^ rewens2659 (2017年2月14日). “ルー・テーズVSカール・ゴッチの対戦成績”. Yahoo! JAPAN. 2017年8月14日閲覧。
  20. ^ NWA Eastern States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  21. ^ AWA World Heavyweight Title [Indiana / Ohio]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  22. ^ IWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  23. ^ The WWE matches fought by Karl Gotch in 1972”. Wrestlingdata.com. 2022年4月7日閲覧。
  24. ^ 平直行『平直行の格闘技のおもちゃ箱』(2006年、福昌堂)pp.109-111. ISBN 4892247979
  25. ^ アントニオ猪木ら出席、カール・ゴッチさん納骨式”. 日刊スポーツ. 2023年11月21日閲覧。






固有名詞の分類

新日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー エル・カネック  ケリー・フォン・エリック  カール・ゴッチ  ドス・カラス  ディオニシオ・カスティリアノス
プロレス・トレーナー ミスター雁之助  デニス・コンドリー  カール・ゴッチ  ボブ・オートン・ジュニア  ファビュラス・ムーラ
アマチュアレスリング出身のプロレスラー 鈴木みのる  スコット・スタイナー  カール・ゴッチ  ラーズ・アンダーソン  新崎人生
日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー ジェリー・ブリスコ  ジョン・トロス  カール・ゴッチ  ラーズ・アンダーソン  ウイルバー・スナイダー
国際プロレスに参戦した外国人プロレスラー ウィリアム・アフィルス  ジョン・トロス  カール・ゴッチ  ラーズ・アンダーソン  ファビュラス・ムーラ
ドイツのプロレスラー トーマス・ブレード  ローラン・ボック  マサオ・アオヤコビ  ホースト・ホフマン  カール・ゴッチ

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