オーケストラがやって来た
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 10:05 UTC 版)
出演者
男性司会
- 山本直純
- 石井眞木 - 山本の謹慎期間中に出演。その間は番組で、石井自身が作曲したテーマ曲が使われていた。
- 岩城宏之 - 同上。
- 大町陽一郎(指揮者) - 同上。
- 高島忠夫 - スケジュールの都合により、1982年春から夏まで不定期出演となっていた山本の代役を務めていた。
女性司会
放送中止
1979年4月22日と29日の2回にわたって放送される予定だった小沢征爾とボストン交響楽団の中国訪問のドキュメンタリーの放送が中止された。中止の理由についてTBS側は「テレビマンユニオンからの申し入れ」と述べ、テレビマンユニオン側は「内容にスポンサーが難色を示し、話し合いがつかなかったため」としている。[6]
スタッフ
データは、テレビマンユニオンが公開している番組の動画「第92回 セイジ・スターンの『私は音楽家です』」(下記外部リンク節にリンクあり)からの参考。
- 中継技術:pavic
- タイトルイラストレーション:山藤章二
- 構成:榛谷泰明
- ディレクター:黒木隆
- プロデューサー:萩元晴彦、新村もとを
- 制作:テレビマンユニオン、TBS(地方での公開録画時は現地のネット局もクレジット)
放送局
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特筆の無い場合は全て同時ネット。地方での収録時は、TBSと収録地のネット局(日本テレビ系列の山形放送・福井放送・四国放送・南海放送を含む)の共同制作となっていた。
- TBS(制作局)
- 北海道放送
- 青森テレビ
- 東北放送
- 山形放送
- 福島テレビ
- 新潟放送:当初は同時ネット[7]→金曜 17:00 - 17:30(1977年時点)[8]
- 信越放送
- テレビ山梨
- 静岡放送
- 北陸放送[7]
- 福井放送:金曜 17:00 - 17:30(1977年時点)[8]→日曜 10:30 - 11:00(1983年4月3日最終回時点)[9]
- 中部日本放送[7]
- 朝日放送(1975年3月30日まで) → 毎日放送(1975年4月6日から)[10]
- 山陽放送
- 中国放送
- 山陰放送
- 四国放送
- 南海放送
- RKB毎日放送
- 熊本放送
- 大分放送
- 南日本放送
- 琉球放送
脚注
- ^ a b 朝日新聞 1980年4月27日のテレビ欄 及び1980年5月4日のテレビ欄 P.24(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、196 - 198頁。NDLJP:12275392/102。
- ^ 山本直純が暴走 番組降ろすとTBSが決定『朝日新聞』1978年(昭和53年)8月10日夕刊、3版、11面
- ^ 今野勉『テレビの青春』NTT出版、2009年、484頁。
- ^ 最後の半年間(1985年4月-同年9月)は、電電公社の後身にあたるNTTがスポンサーとなった。
- ^ テレビ放送中止事件 岩波ブックレット
- ^ a b c 『北日本新聞』1975年3月30日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 『北國新聞』1977年2月11日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1983年4月3日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 1975年3月31日に朝日放送と毎日放送との間でネットチェンジ(いわゆる腸捻転の解消)が行われたため。
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