イングマール・ベルイマン 生涯

イングマール・ベルイマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 09:30 UTC 版)

生涯

『キネマ旬報』1962年2月決算特別号より。

イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、スウェーデンのウプサラで生まれた。父は牧師であり、兄のダーグは外交官、妹のマルガレータはのちに小説家となった[5]。ベルイマン家は首都ストックホルムで生活しており、ベルイマンもそこで育ち、1937年にはストックホルム高等学校(現ストックホルム大学)の文学・美術史学科に入学して、舞台演出の道へと進んだ[6]

1942年には映画会社のスヴェンスク・フィルム社に入社し、1943年にはエルセ・フィシェルと結婚[7]。なお、1945年にエルセとは離婚し、その後も多くの女性と結婚と離婚を繰り返して、ベルイマンは通算で5度の結婚を行った。1944年アルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけた。また同年、ヘルシンボリ市立劇場の主任演出家となり[8]、その後もヨーテボリ[9]ノーショーピングマルメ、ストックホルムなどの都市で舞台演出を行った[10]

1945年、『危機』で映画監督としてデビューし[11]、その後、数本の低予算映画の中で自らのスタイルを模索する。

1950年、『夏の遊び』の頃から映画監督ベルイマンとしてのスタイルを確立した。

1952年、『不良少女モニカ』でフランスヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに賞賛される[12]

しかし、批評家から激賞されても興行的な成功を中々出せず、プロデューサーからも「次回作で興行的な成功がなければ二度と映画は撮らせない」と圧力を掛けられる。そんな中で制作した1955年公開の『夏の夜は三たび微笑む』が翌年のカンヌ国際映画祭にて特設賞である「詩的ユーモア賞」(仏語:Prix de l'humour poétique)を受賞し、国際的な評価を得る[11]と同時にスウェーデン国内でも大成功を収めた。

1950年代後半からは『夏の夜は三たび微笑む』での成功により得た映画制作の自由のもと、立て続けに良作を発表。神の存在をテーマとした『第七の封印』(1957年)では、再びカンヌ国際映画祭に出品され、審査員特別賞を受賞し、2年連続受賞を果たす。人生の老いについて普遍的に描いた『野いちご』(1958年)では、ベルリン国際映画祭でグランプリにあたる金熊賞を受賞。権力と迷信の対立をコメディタッチに描いた『魔術師』(1958年)では、ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞し、数年のうちに世界三大映画祭の主要部門を制覇する。

1960年代に入っても精力的に活動を続け、復讐と神の存在を描いた『処女の泉』(1960年)が米国アカデミー賞にて外国語映画賞を受賞し、世界的な映画監督としての名声を不動のものにする。また、『鏡の中にある如く』(1961年)、『冬の光』(1962年)、『沈黙』(1963年)の3作品、いわゆる「神の沈黙」三部作と呼ばれる[13]作品群を発表し、こちらも高い評価を獲得。特に『鏡の中にある如く』はベルイマン作品として2年連続で米国アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。

1963年にはストックホルム王立劇場の総監督となる[14]。1965年、チャールズ・チャップリンと共にエラスムス賞を受賞。1966年にはゴトランド島の北にあるフォーレ島での生活を始めた[15]

その後、「神の沈黙」三部作以降は主に愛人であった女優リヴ・ウルマンを主役に据えて、『仮面/ペルソナ』(1967年)といった、人間の本質に迫る数多くの良質の作品を発表し続けた。

1970年代頃には黒澤明フェデリコ・フェリーニらと共に世界的な巨匠としての地位を確立していたが、1976年にスウェーデン警察に脱税容疑で逮捕される。これは無実であり2ヶ月後には釈放されたものの、突然の出来事でショックを受けたベルイマンは入院し、回復するとスウェーデンを去ることを表明して、ヨーロッパ諸国を回る。その放浪の途中に滞在したノルウェーでは、イングリッド・バーグマンにとって最後の出演映画となった『秋のソナタ』を撮影する。その後、西ドイツミュンヘンに落ち着いた[16]。1978年にはスウェーデンで名誉回復がなされたため[17]、のちに帰国した。

1982年に公開された5時間超の大作『ファニーとアレクサンデル』を最後に映画監督業から引退[18]。その後は以前から映画製作と並行して手がけていたスウェーデン王立劇場での舞台演劇に専念、舞台演出家兼脚本家としての活動を続けた。ただし、『愛の風景』(1992年)、『日曜日のピュ』(1994年)、『不実の愛、かくも燃え』(2000年)など、自伝的作品を中心に脚本家として映画製作にも携わった。

1991年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞[19]。1995年には最後の妻であるイングリッドを亡くした[11]

2003年、突如として、20年ぶりの監督作品『サラバンド』を発表[20]。この映画はベルイマンにとって最初で最後となるデジタルHD撮影による作品であり、監督としての健在ぶりをアピールした。

2007年7月30日、スウェーデンのフォーレ島にて死去。89歳だった[21]。8月19日には同島で葬儀と埋葬が行われた[11]


注釈

  1. ^ Ingmar Bergmanのスウェーデン語による発音については、外部サイトを参照のこと。[1]

出典

  1. ^ 13th Cannes Film Festival”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  2. ^ 8th Berlinale”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  3. ^ 大辞泉』の「ベルイマン」の項目より
  4. ^ Ingmar Bergman RIGHT PRONUNCIATION 2018年5月4日参照。
  5. ^ 小松 2000, pp. 12–13.
  6. ^ 小松 2000, p. 19.
  7. ^ 小松 2000, p. 25.
  8. ^ 小松 2000, p. 31.
  9. ^ 小松 2000, p. 38.
  10. ^ 小松 2000, pp. 62–63.
  11. ^ a b c d スウェーデンの巨匠 映画監督イングマール・ベルイマンの葬儀が行われる”. www.afpbb.com (2007年8月19日). 2021年7月2日閲覧。
  12. ^ 小松 2000, p. 65.
  13. ^ 小松 2000, p. 118.
  14. ^ 小松 2000, p. 129.
  15. ^ 小松 2000, p. 154.
  16. ^ 小松 2000, pp. 172–173.
  17. ^ 小松 2000, p. 218.
  18. ^ 小松 2000, p. 188.
  19. ^ イングマール・ベルイマン - 高松宮殿下記念世界文化賞”. www.praemiumimperiale.org. 日本美術協会. 2021年7月2日閲覧。
  20. ^ 山根聡 (2006年8月8日). “ベルイマン監督 20年ぶり新作映画撮っていた”. 産経Web(産経新聞 ENAK) (産経デジタル). http://www.sankei.co.jp/enak/2006/glace/aug/kiji/08cinemaBailman.html 2024年4月20日閲覧。 
  21. ^ スウェーデンの巨匠 映画監督イングマール・ベルイマン死去”. www.afpbb.com (2007年7月30日). 2021年7月2日閲覧。
  22. ^ The Greatest Films of All Time… in 2002” (英語). BFI (2021年5月18日). 2023年12月21日閲覧。
  23. ^ BBC NEWS、“Film director Bergman dies at 89”、2007年7月30日。(参照:2009年9月11日)
  24. ^ Richard Corliss、“Woody Allen on Ingmar Bergman”、2007年8月1日。(参照:2009年9月11日)
  25. ^ 故イングマール・ベルイマン監督へ、米映画界から賞賛の声”. www.afpbb.com (2007年7月31日). 2021年7月2日閲覧。
  26. ^ G・ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳「ベルイマンは語る」青土社 p142 5行目「……映画用のシナリオを舞台用の台本にアレンジしたのですが、結局シナリオからはセリフを五つもらっただけだし、舞台化そのものも失敗作に終わりました。」
  27. ^ 13th Cannes Film Festival”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  28. ^ 8th Berlinale”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  29. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2262073?cx_part=search 「故イングマール・ベルイマン監督へ、米映画界から賞賛の声」AFPBB 2007年7月31日 2019年11月3日閲覧






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