アンドレ・アガシ アンドレ・アガシの概要

アンドレ・アガシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 13:40 UTC 版)

アンドレ・アガシ
Andre Agassi
アンドレ・アガシ
基本情報
フルネーム Andre Kirk Agassi
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・ネバダ州ラスベガス
生年月日 (1970-04-29) 1970年4月29日(52歳)
身長 180cm
体重 80kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2011年
ツアー経歴
デビュー年 1986年
引退年 2006年
ツアー通算 61勝
シングルス 60勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 910勝316敗
シングルス 870勝274敗
ダブルス 40勝42敗
生涯獲得賞金 $31,152,975
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1995・2000・01・03)
全仏 優勝(1999)
全英 優勝(1992)
全米 優勝(1994・99)
優勝回数 8(豪4・仏1・英1・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 ベスト8(1992)
全米 1回戦(1987)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1990・92・95)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(1995年4月10日)
ダブルス 123位(1992年8月17日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
1996 アトランタ シングルス

史上唯一のキャリア・グランドスラム・オリンピックシングルス金メダル・ATPツアーファイナルチャンピオンシップ優勝の3冠のスーパースラム達成者[1]。4大大会通算8勝は、ジミー・コナーズイワン・レンドルらと並ぶ男子歴代8位タイ記録 [2]

父親はイランからの移民者で、アルメニア系の元ボクシング選手であり、母親はイングランド系の白人である。姉のリタは往年の名テニスプレーヤーパンチョ・ゴンザレスの最晩年の妻でもある。

妻は、同じくテニス選手のシュテフィ・グラフ

選手経歴

アガシは4人兄弟の末っ子として生まれ、4歳からテニスを始めた。13歳の時、彼はフロリダ州ボカラトンにあるニック・ボロテリー・テニスアカデミーに入学した。1986年に16歳でプロ転向。1988年全仏オープン1988年全米オープンで初のベスト4に入り、ATPツアーでも年間6大会に優勝して、18歳で世界ランク3位に躍進した。しかし1990年全仏オープン決勝ではアンドレス・ゴメスに、同年の全米オープン決勝ではピート・サンプラスに敗れる。翌1991年全仏オープン決勝では、少年時代からのライバルであったジム・クーリエに敗れて2年連続の準優勝に終わった。

1992年ウィンブルドン選手権決勝でゴラン・イワニセビッチをフルセットの末に破り、宿願の4大大会初優勝を達成。その後1994年全米オープン1995年全豪オープンでも優勝し、1996年アトランタ五輪では決勝でスペインセルジ・ブルゲラを破って金メダルを獲得した。

1997年4月には女優のブルック・シールズと結婚するが、わずか2年で離婚する。

それからしばらくは極度の低迷に陥り、同年末には世界ランキングを141位まで落とす。しかし、当時のコーチであったブラッド・ギルバートの指導により、徐々に復調を果たす。1999年全仏オープン決勝で、アガシはアンドレイ・メドベデフに2セット先取されてからの大逆転で破り、1969年ロッド・レーバー以来30年ぶり史上5人目のキャリア・グランドスラムを達成した。この偉業で再び波に乗ったアガシは、同年の全米オープンで5年ぶり2度目の優勝を遂げ、2000年全豪オープン2001年全豪オープンで大会2連覇を果たした。

引退直後のシュテフィ・グラフと交際し、2001年10月22日に再婚した。同年代のライバルたちがほとんど現役引退した後も、アガシが世界トップ10の活躍を続けてきたのは、4大大会通算「22勝」を達成したかつての名選手、グラフの内助の功が大きいとされている。

2003年全豪オープン決勝戦でライナー・シュットラーを破った後、しばらく4大大会の決勝から遠ざかっていた。全仏オープンでは2004年2005年の2年連続で初戦敗退を喫している。2005年全米オープンで、35歳にして3年ぶり6度目の全米決勝進出を果たしたが、第1シードのロジャー・フェデラーに3-6, 6-2, 6-7, 1-6で敗れて準優勝に終わった。

アガシは2006年6月24日に会見を開き、同年の全米オープン終了後に現役引退する意向を表明した。最後のウィンブルドン選手権では、3回戦で第2シードのラファエル・ナダルに6-7, 2-6, 4-6で完敗した。そして、現役最後の大会となった全米オープンでは1回戦でアンドレイ・パベルを、2回戦でマルコス・バグダティスを破ったが、3回戦で予選勝者ベンヤミン・ベッカーに5-7, 7-6, 4-6, 5-7で敗れ、21年間の現役生活に終止符を打った。

アガシのATPツアー初優勝は1987年11月のイタパリカポルトガル語版での大会で、最後の優勝は2005年7月のメルセデスベンツ・カップ大会であった。

プレースタイル

ライジングショット、リターンを得意とした1990年代から2000年代前半有数のグラウンドストローカー。

相性から、1990年代2000年代前半のビッグサーバー達(シュティヒロディック等)をカモにしていたが、クーリエチャン等グランドストローカー同士には苦戦することもあった。

ハードヒットする時にヘビースピンからフラットまで幅広く打ち分けられるのも大きな特徴。インパクトの時間までコントロールできるような天才的なボールタッチを持っている。そのため球種も豊富で、縦方向と横方向と両方のボールコントロールに優れている。 バックハンドは安定性を重視しており、リストワークでトップスピンの量を調整できる[3]

世界一と言われたリターンは小さなテイクバックから強打する技術があり、さらに不十分な体勢でもしっかりと返せるリストワークや面の操作のうまさがある。そして、打球反応やハンド・アイ・コーディネーションも良く、早いタイミングで正確にボールをとらえられる(打点が遅れることがほとんどない)ので、ミスも少なく攻撃力も高い。どんな相手にもつねにポジションを前にとってプレッシャーをかけ続け、相手のファーストサービスの確率を落としていく[4]

アガシは若い頃から、ライジング打法を用いた積極的に攻めるテニスを得意としたが、ともすると強引にエースを狙いすぎる傾向があり、自分のリズムを崩してしまうこともたびたびであった。キャリアの後半はライジング打法をカウンターとして用い、非常に安定したテニスを繰り広げてきた[5]


  1. ^ 妻のシュテフィ・グラフも達成しており、なおかつこちらは史上唯一の年間ゴールデンスラム達成者である。
  2. ^ 現在の4大大会は全豪オープン全米オープンがハードコートで行われるが、かつては芝生とクレーしかなかった。4大大会で異なる3種類のサーフェスをすべて制したのは、アガシ、コナーズ、マッツ・ビランデルラファエル・ナダルロジャー・フェデラーノバク・ジョコビッチの5人だけである (全米オープンのコートは、芝生・クレー・ハードと変遷。コナーズはそのすべてのサーフェスで優勝したが、グランドスラムは達成していない。またビランデルはウィンブルドン優勝こそないが1983,84年にまだ芝生で行われていた全豪を制しており、ハードになった後の全豪、全米及びクレーの全仏で優勝経験がある)
  3. ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_agassi01.html
  4. ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_agassi03.html
  5. ^ Nick Bollettieri. “Building the Agassi Backhand”. tennisplayer.net. 2014年6月4日閲覧。
  6. ^ アガシ氏 カツラの使用を認める
  7. ^ Andre Agassi.aspx


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