アルバニア王国 (近代) 歴史

アルバニア王国 (近代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 03:26 UTC 版)

歴史

1928年、アルバニアは大統領だったゾグーを国王に戴く立憲君主国となった。当時のアルバニアは民族社会であり、国内情勢は不安定であった。ゾグーは民族の武装解除や法律整備を推し進め、アルバニアの近代化を図った。

1939年ファシスト党率いるイタリア王国がアルバニアへ侵攻しイタリア軍が進駐すると(イタリアのアルバニア侵攻)、ゾグーは王妃と共に国外脱出した。同年、アルバニアはイタリアとの同君連合となり、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がアルバニア王に即位する。実質的には国王代理の総督が統治し、総督となったチャーノの下で親伊派の傀儡政権が置かれ、国政を担当した。1940年にはイタリアのギリシャ侵攻の煽りを受け、南部地域が激戦地となり多くの犠牲者を出した。1941年の枢軸軍のユーゴスラヴィア占領によりコソボ及び西マケドニア、ギリシャ南部まで領土が拡大し、形式上は大アルバニアを形成した。

1943年にイタリアが連合国に降伏すると、今度はドイツ軍の占領下に置かれ、ドイツ軍政の下、親独傀儡政府が置かれた。一部のアルバニア民族主義者達は、ナチスの武装親衛隊に入隊するなど、対独協力を行い、セルビア人ユダヤ人に対する虐殺行為に手を染めた。しかし、すべてのアルバニア人が対独協力を行なったわけでなく、住民が積極的にレジスタンス活動やユダヤ人の保護に協力している。

1944年11月、パルチザンと赤軍によって国土が解放されると、ソビエト連邦の支援の下、アルバニア共産党を中心とした臨時政府が樹立される。ゾグーは戦後も帰国することができず、亡命先で1961年に死去する。

1946年、王政廃止と同時にアルバニア人民共和国が成立し、エンヴェル・ホッジャを最高指導者とする共産主義政権が成立した。







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