1510年代
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1510年代(せんごひゃくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1510年から1519年までの10年間を指す十年紀。
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1510年代
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詳細は「1510年代」を参照 1510年メディチ家出身のレオ10世が教皇になる。 ポルトガルがインドのゴアを占領。 サファヴィー朝のイスマーイール1世がメルヴ近郊でシャイバーニー朝のムハンマド・シャイバーニーを敗死させる。 ダヤン・ハーンがモンゴルを再統一。 明で安化王の乱。劉瑾が帝位簒奪を企てたため処刑される。 朝鮮で三浦の乱。 1511年ポルトガルがマラッカを占領。 スペインがキューバを占領、ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルがキューバ総督となる。 前将軍足利義澄が水茎岡山城で死去。船岡山の戦いで勝利した細川高国・大内義興政権が成立。 1512年ティムール朝のバーブルがサマルカンドを放棄。以後、中央アジアからインドに進出。 アラゴン王フェルナンド2世がパンプローナを含むピレネー以南のナバラ王国を占領(1515年に併合)。 旅行家レオ・アフリカヌスがソンガイ王国の都トンブクトゥを訪問する。 1513年オスマン朝で「ピーリー・レイースの地図」が作成される。 1514年チャルディラーンの戦いでオスマン朝がサファヴィー朝に勝利。 1515年ウィーン二重結婚。 フランス王フランソワ1世即位。ミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放。 ポルトガルがホルムズ島を占領。 インドのゴアからポルトガル王マヌエル1世にインドサイが贈られる。 1516年ヴェネツィアにゲットーが設置される。 マルジュ・ダービクの戦いでオスマン朝がマムルーク朝に大勝する。 トマス・モアの『ユートピア』刊行。 ボローニャの政教協約でフランスの国家教会主義(ガリカニズム)が完成する。 1517年マルティン・ルターの「95ヶ条の論題」(宗教改革の発端)。 リダニヤの戦いでオスマン朝のセリム1世がマムルーク朝を滅ぼす。 エルナンデス・デ・コルドバのユカタン半島上陸。 1518年ストラスブールで「舞踏のペスト(英語版)」と呼ばれる集団ヒステリー事件発生。 ベーメンで採掘された銀をもとにヨアヒムスターラー銀貨(最初のターラー銀貨)が発行される。 フアン・デ・グリハルバのメキシコ東部遠征、トゥルム他でマヤ系先住民と接触。 1519年スペイン王カルロス1世が神聖ローマ皇帝カール5世として即位。 神聖ローマ皇帝カール5世の支援を得て、フェルディナンド・マゼランが世界周航のためにセビリアから出帆する。 明で寧王の乱。
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