ヨアヒムスターラー
ヨアヒムスターラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 15:07 UTC 版)
「ターラー (通貨)」の記事における「ヨアヒムスターラー」の解説
1518年、すでにグルディナー銀貨は中欧の各地で非常に流通しておりハプスブルク家の支配する神聖ローマ帝国の一部だったボヘミアでも発行されていた。これはハル・イン・チロルで造られていたものと同じサイズだったが純度は若干落ちており、原料の銀が採掘された当時新発見の銀山、ザンクト・ヨアヒムスタール(Sankt Joachimsthal、ザンクト・ヨアヒムは「聖ヨアキム」、タールは「谷」、現在のチェコとドイツの国境付近のヤーヒモフ)にちなんで「ヨアヒムスターラー」と呼ばれた。この銀貨には聖ヨアキムの肖像が浮彫りされていた。 同様の銀貨が銀の豊富な隣接の渓谷地帯でも鋳造されており、それぞれの谷(タール)の名にちなみ「…ターラー」と呼ばれた。これら多数の種類の銀貨は「ターラー」(thaler)と略称された。当時ヨーロッパ各地では商取引の基準として新たな通貨が求められていたが、これら初期のターラーから造られた「新ターラー」がその基準通貨となり、同様の大きさおよび銀の重さの通貨が欧州各地で発行された。
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