関ヶ原戦後の中国路の大名配置とは? わかりやすく解説

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関ヶ原戦後の中国路の大名配置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 01:49 UTC 版)

中国国分」の記事における「関ヶ原戦後の中国路の大名配置」の解説

関ヶ原の戦い西軍についた諸将は、完勝した徳川家康によって領地没収など厳し処分下された。ことに、この地方では、豊臣五大老のうち2人毛利輝元宇喜多秀家)がおり、西軍大将であった毛利輝元大幅に減封されて長門周防両国領有とどめられ主力として参戦した西軍副将宇喜多秀家改易となったため、大名配置大きく塗り替えられた。 なお、宇喜多秀家は、関ヶ原合戦後、伊吹山中に逃れたのち島津義弘頼って薩摩落ち延び3年同地暮らした。しかし、その噂が広がって徳川家康の耳にはいったため、慶長8年1603年薩摩藩島津忠恒は秀家を家康引き渡した。忠恒および前田利長家康への助命嘆願により秀家は死罪免れ慶長11年1606年八丈島配流された。明暦元年1655年)に84歳死去するまで、秀家はこの島で生活した西軍についた丹波小野木公郷、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}川勝秀氏[要出典]、但馬斎村広道赤松広道)、因幡宮部長房木下重賢、垣屋光成伯耆南条忠成播磨木下延重横浜茂勝糟屋宗孝それぞれ改易となった前田玄以三男丹波亀山城であった前田茂勝は、関ヶ原戦では西軍属して東軍細川幽斎のこもる丹後田辺城攻めたが、朝廷との太いつながりなどが幸いして旧領安堵された。一方細川氏は、その田辺城の戦いでの軍功評価され豊前中津399,000石に加増移封され、その後豊前小倉40万石、さらに忠興子息細川忠利肥後熊本藩54万石領地増やした豊臣恩顧諸大名東軍についた池田輝政小早川秀秋福島正則大幅に加増されて、それぞれ播磨姫路52万石)、備前岡山574,000石)、安芸広島498,000石)の山陽道要衝配された。 小早川秀秋備前美作宇喜多旧領あたえられたが、その治世乱れて老臣はじめ家中逐電するものが後を絶たなかったという。慶長7年1602年)、秀秋21歳没したが、嗣子がなかったため取りつぶしとなったまた、この戦いで中立守り秀吉正室高台院(おね)の守衛あたった木下延俊小早川秀秋の兄)は家康によってその功を認められ加増されて豊後国日出転出した。 なお、関ヶ原の戦前にあたる慶長3年1598年)と戦後慶長7年1602年)の中国路大名配置以下のとおりである。 国領1598年慶長3年石高戦後処置1602年慶長7年石高丹波 山家 谷衛友 1.6万石 旧領安堵 谷衡友 1.6万石 丹波 園部 別所吉治 1.5万石 旧領安堵 別所吉治 1.5万石 丹波 福知山 小野木公郷 3.1万石 没収 有馬豊氏 6.0万石 丹波 亀山 前田茂勝 5.0万石 旧領安堵 前田茂勝 5.0万石 丹波 丹波内 川勝秀氏 1.0万石 没収 丹後 宮津 細川忠興 23.0万石 加増のうえ転封 京極高知 12.3万石 但馬 竹田 斎村広道 2.1万石 没収 但馬 豊田 杉原長房 2.0万石 旧領安堵 杉原長房 2.0万石 但馬 出石 小出吉政 6.0万石 旧領安堵 小出吉政 6.0万石 因幡 鹿野 亀井茲矩 1.3万石 加増 亀井茲矩 3.8万石 因幡 鳥取 宮部長房 20.0万石 没収 池田長吉 6.5万石 因幡 若桜 木下重賢 2.0万石 没収 山崎家盛 3.5万石 因幡 浦住 垣屋光成 1.0万石 没収 伯耆 羽衣石 南条忠成 4.0万石 没収 伯耆 米子 中村一忠 17.5万石 出雲 松江 堀尾忠氏 24.0万石 石見 津和野 宇喜多正親 3.0万石 播磨 播磨内 木下延俊 2.0万石 加増のうえ転封 播磨 播磨内 木下延重 2.0万石 没収 播磨 播磨ノ内 横浜茂勝 1.7万石 没収 播磨 加古川 糟屋宗孝 1.2万石 没収 播磨 姫路 木下家定 2.5万石 転封 池田輝政 52.0万石 備前 岡山 宇喜多秀家 57.4万石 没収 小早川秀秋 57.4万石 備中 庭瀬 戸川達安 3.9万石 備中 足守 木下家2.5万石 安芸 広島 毛利輝元 112.0万石 減封 福島正則 49.8万石 長門 毛利秀就 29.8万石 淡路 洲本 脇安治 3.3万石 旧領安堵 脇坂安治 3.3万石

※この「関ヶ原戦後の中国路の大名配置」の解説は、「中国国分」の解説の一部です。
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