島津忠恒(しまづ ただつね) 1576~1638
○米菊丸 又八郎 家久 陸奥守 薩摩守 大隅守 左少将 参議 中納言 松平氏
◇父:島津義弘 室:島津義久女、島津忠清女、鎌田氏女、相良氏女、宮原氏女、牧氏女、崎山氏女、家村氏女、川村氏女 子:島津兵庫頭、左近衛中将光久、忠朗、北郷久直、島津忠広、町田忠尚、島津忠紀、禰寝重永、島津久雄、鎌田政勝、伊集院久国、島津忠心、伊集院久朝、伊勢貞昭、樺山久尚
薩摩・島津義弘の三男。幼時より武を好み、父と共に朝鮮出征に参加して勇名をはせる。帰国後、主家を蔑ろにする伊集院忠棟を京都伏見にて誅し、本国にて反旗を揚げた忠棟の一族を討った。関ヶ原の戦い後、家督を継いで徳川家康に拝謁し、松平の家号を許され、諱を受けて家久と名乗る。1609年琉球へ樺山久高らを派兵、尚寧を降し管轄とした。
◇父:島津義弘 室:島津義久女、島津忠清女、鎌田氏女、相良氏女、宮原氏女、牧氏女、崎山氏女、家村氏女、川村氏女 子:島津兵庫頭、左近衛中将光久、忠朗、北郷久直、島津忠広、町田忠尚、島津忠紀、禰寝重永、島津久雄、鎌田政勝、伊集院久国、島津忠心、伊集院久朝、伊勢貞昭、樺山久尚
薩摩・島津義弘の三男。幼時より武を好み、父と共に朝鮮出征に参加して勇名をはせる。帰国後、主家を蔑ろにする伊集院忠棟を京都伏見にて誅し、本国にて反旗を揚げた忠棟の一族を討った。関ヶ原の戦い後、家督を継いで徳川家康に拝謁し、松平の家号を許され、諱を受けて家久と名乗る。1609年琉球へ樺山久高らを派兵、尚寧を降し管轄とした。
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