開山在庵円有
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:44 UTC 版)
在庵円有は、俗姓賀茂氏。播磨国室津の出身。京都西加茂正伝寺の法位円性の法嗣であり、執権北条時頼の参禅の師である鎌倉建長寺二世、兀庵普寧の四世の法孫に当たる。最初、正伝寺に住し、その後足利尊氏の要請により福海寺の開山になる。大変道徳が高く、学識深く、参禅する雲水、学者が大勢参集する。そこから福海寺の法堂は「雲會堂」と名づけられる。「大光山 福海寺」の寺号は建武3年足利尊氏が兵庫の針ヶ崎観音堂に逃れ、兵庫の海から九州に落ち、その後また兵庫に上陸し、幕府を開いたことから、兵庫の海が、尊氏にとって「福の海」であるという意味、観音信仰の「福聚海無量」の意味もあるが、同じ宗覚派で鎌倉和賀江に安達泰盛が開基し廃寺になった、「福光山 聖海寺」の復興の意味合いもある。「福光山 聖海寺」の文字を並べ替え多少変更し「大光山 福海寺」の寺号にしたと考えられる。東巌禅師も兀庵禅師より、将来寺院を建立したときのために「正伝寺」などの名前を貰っていたが、福海寺も建立に当たって、兀庵禅師ゆかりの名跡の復興を考えたものと思われる。 貞和5年11月21日遷化。世寿84歳。遺偈は「八十四年 笑倒祖佛 一句臨行 寒嵐払払」とある(延宝伝灯録)。また肖像画である頂相の賛は、天龍寺住持・埼玉平林寺開山の石室善玖禅師が次のように書いている。「佛鑑嫡裔兀庵真孫 掃除枝葉廊徹根源 権興名刹無刀斧痕 茆菓一茎主元在 法身堅固鉄崑崙」。法嗣に無價掌珍禅師(京都五山萬寿寺住持・筑前聖福寺住持(第五十一世)・福海寺住持)がいる。
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