つうじゅん‐きょう〔‐ケウ〕【通潤橋】
通潤橋(熊本県)
通潤橋
名称: | 通潤橋 |
ふりがな: | つうじゅんきょう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1451 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1960.02.09(昭和35.02.09) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 熊本県 |
都道府県: | 熊本県上益城郡山都町長原 |
所有者名: | 矢部町 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造単アーチ橋 取入口から排出口に至る水路を含む |
時代区分: | 江戸末期 |
年代: | 安政元(1854) |
解説文: | 安政元年(1854)に建造された石造単アーチ橋。橋長84.0m、橋幅6.5m、アーチ径間27.3mの規模を持つ。輪石は一重で、壁石は鱗状に積まれている。橋の前後約100mに渡って、石樋が3列土中に埋め込まれる(現在鉄管を1列増設)。凹形曲面を基本とした美しい形状を持つ我が国最大規模の石造水路橋。 |
通潤橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 13:27 UTC 版)
通潤橋(つうじゅんきょう[1])は、熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)にある石造単アーチ橋。2023年(令和5年)9月25日、橋などの土木構造物としては全国初の国宝に指定されている[2][3][4]。
- ^ “通潤橋(つうじゅんきょう)の概要”. 山都町. 2023年6月24日閲覧。
- ^ 令和5年9月25日文部科学省告示第107号。
- ^ “文化審議会の答申(国宝・重要文化財(建造物)の指定)”. 文化庁報道発表 (2023年6月23日). 2023年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月27日閲覧。
- ^ a b “【速報】通潤橋が国宝に 熊本・山都町”. 熊本日日新聞 (2023年9月25日). 2023年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月27日閲覧。
- ^ a b 熊本県協会、1996、「日本の名橋100選 石橋文化の精華を今に伝える通潤橋」、『月刊建設』40巻9号(1996-09)、全日本建設技術協会 pp. 58-59
- ^ “通潤橋(熊本県) 水を渡す水路橋(動画)”. NHKアーカイブス. 日本放送協会 (2012年). 2023年9月27日閲覧。
- ^ 『解説版 新指定重要文化財 13 建造物III』、p.93による。橋長等の数値は資料により若干の差がある。
- ^ 通潤用水と白糸台地の棚田景観 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “2020放水カレンダー”. 山都町. 2020年11月14日閲覧。
- ^ a b 通潤橋について山都町、2020年11月14日閲覧
- ^ a b c d e f “シリーズ 熊本偉人伝 Vol.17(旅ムック83号掲載)ふたやすのすけ”. Ace publishing. 2020年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e f “渇いた台地を潤わせた、空の水路”. クボタ. 2020年11月14日閲覧。
- ^ “通潤橋 日本最大級の水路橋~熊本県山都町”. 日本放送協会. 2018年5月12日閲覧。
- ^ 通潤橋 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “肥後のシンボル危機 熊本城、阿蘇神社、通潤橋”. 西日本新聞. (2016年4月16日). オリジナルの2016年4月17日時点におけるアーカイブ。 2016年4月17日閲覧。
- ^ 復旧中の通潤橋「来春には雄姿」 山都町が現場公開 - ウェイバックマシン(2019年11月29日アーカイブ分) - 西日本新聞、2019年8月14日
- ^ 【通潤橋】2020年放水カレンダー(2020年4月17日更新) - ウェイバックマシン(2020年6月29日アーカイブ分) - 山都町
- ^ “アーチから噴き出す水に歓声、地震被害の「通潤橋」保存修理工事が完了 : 社会 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2020年7月21日). 2020年7月21日閲覧。
- ^ 日本経済新聞 朝刊31ページ(2019/4/8)熊本地震、被災の棚田復興、都会の市民と共に汗(風紋)
- ^ 文部省(編)、1943、『初等科修身 第3』、文部省 pp. 28-35
- ^ 「県からのたより」2003年10月 - 熊本県
- ^ a b 「道の駅」整備事業基本計画 - 山都町
- ^ 令和6年1月13日正午オープン!! 山都町のゲートウェイ道の駅通潤橋(広報山都2024年1月号) - 山都町
- ^ "水のわたる橋 〜熊本県矢部町〜". NHK. 2023年9月23日. 2023年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月26日閲覧。
- ^ 『竹崎順子』徳富健次郎(徳富蘆花)、福永書店、1923、p10
- ^ 『竹崎順子』、p15
- ^ “新作オラ夏 開発者がこだわる高2から終わらない夏休み:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年7月14日). 2022年9月1日閲覧。
通潤橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 03:09 UTC 版)
通潤橋は江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側熊本県上益城郡山都町の五老ヶ滝川(緑川上流に位置する一支流)の谷に架けられた石組みによる用水の水路橋。形式はアーチ橋となっており、橋の上部には3本の石管が通っている。肥後の石工(匠)の技術レベルの高さを証明する歴史的農業土木構造物であり、国の重要文化財に指定されている。
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