貧福論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
「貧福論」は、いわゆる銭神問答のひとつである。主人公の岡左内は岡定俊、岡野左内ともいい、蒲生氏郷につかえた。氏郷の死後浪人し、上杉家に仕官(一万石)した。岡左内は当時、金銭にまつわる逸話が伝えられた人物で、色々な書物にその名が見える。 左内の有名なところといえば、富貴を願って倹約を尊び、暇なときには部屋に金貨を敷き詰め、楽しんだ。しかし吝嗇ということではなく、ある下男が小判一枚を蓄えていることを知ると金の大事さを説き、これをとりたて、十両の金をやった。というわけで、庶民にも人気のある奇人だった。 その左内がある夜寝ていると、枕元に小さな翁が現れた。正体を聞くと、黄金の精霊を名乗った。日頃の憂さを晴らしに、色々なことを語りたいがためにやって来たという。そして、世間の金銭を卑しいものとする風潮を嘆いた。「千金の子は市にも死せず」「富貴の人は王者のたのしみを同じうす」とことわざを唱え、清貧な生き方をする賢人は賢いけれど、金の徳を重んじない点で賢明な行為ではない、と断じた。 これに、左内は興に乗って、なぜ富めるものの八割が貪酷で残忍なのか、そして、真にすばらしい働き者の人がなぜ貧しいままなのか、これは、仏教にいう前業のせいなのか、儒教のいう天命のせいなのか、と質問をした。翁は、その仏教の教えはいい加減なものであると批判し、自分の考えを述べた。つまり、金とは非情のものであり、「天の随(まにまに)なる計策(たばかり)」、自然の道理によって動くもので、善悪の論理は介在しないこと、金銭を尊重する人のところに集まるもの、金銭を貯めることは技術なのだ、だから、前業も天命も関係ない、と。 左内はこれを聞いて、日頃の疑問が解決したことを喜び、もう一つ、これからの世の勢力の動きについて翁に尋ねた。翁はこれに、「富貴」を観点として武将を論じた。そして、上杉謙信、武田信玄、織田信長のあと、豊臣秀吉が天下を取ったが、これも長くないだろう、と予言した。そして、八字の句を詠った。「堯蓂日杲 百姓帰家」。夜明けが近くなり、翁はあいさつをして姿が見えなくなった。左内は与えられた詩について考え、その意味に思い至ると、これを深く信じるようになった。そして、世の中は、その通りに動いていった。
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