試合関連
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「ジ・アンダーテイカー」の記事における「試合関連」の解説
レッスルマニア13という大舞台の前日に交通事故により怪我をしていたという。それでもなお試合に勝利し王座を獲得している。 かの有名なマンカインドとのヘル・イン・ア・セル戦においても、足首を剥離骨折した状態で出場している。 2010年2月21日のエリミネーション・チェンバー戦の入場時にパイロ(演出用の花火)が誤作動を起こし、アンダーテイカーは炎に包まれた。入場コスチュームは燃え、テイカー自身も1度〜2度の火傷を負ったが、応急処置を受けたのち、何事もなかったように試合に参加した。 弟であるケインとのアングルは人気の一つである。中でも最も支持されているアングルの一つに破壊兄弟(Brothers of Destruction)が挙げられる。そのギミックと相まって通常のタッグ戦線で活躍するタッグチームとは一線を画する、ある種別格の存在感を放っており、団体からも一目置かれており(このタッグが復活するとほぼ必ずアナウンスが入り、注目カードとして扱われることからもその存在の大きさが垣間見える)、一つの重要なパーソンといえる。タッグだけでなく二人の抗争も幾度と無く行われており有名な物にリングの周りを炎で囲ったインフェルノマッチなどがある。また、兄弟(ギミック)ということもあり抗争の理由も「両親の墓を賭けて」など非常に独特である。この兄弟ギミックは以降も続いている。 2015年8月現在、20年以上にわたる長いレスラー人生において、タップ(関節技を仕掛けてきた相手に対して、手で相手の体かマットを叩き降参を申告する行為、つまりギブアップ)をして敗北したことが一度もない。ただし、タップをせずに関節技で敗北したことや、逆に、タップをしたが敗北しなかったことは数例ある。以下に事例を示す。1996年6月23日、キング・オブ・ザ・リング、対マンカインド戦 - マンカインドが繰り出したマンディブルクローを受けて、アンダーテイカーは失神してしまった。試合はマンカインドのKO勝ちとなったが、このときアンダーテイカーはタップしていない。 2002年7月4日、スマックダウン、対カート・アングル、WWE統一世界王座戦 - アンダーテイカーはラストライドでアングルを仕留めようと、アングルをリフトアップして肩に担いだ。しかし、アンダーテイカーがアングルを投げ落とそうと持ち上げた瞬間、アングルは巧みにアンダーテイカーの首と片腕を捕獲し、三角絞めを仕掛けることに成功した。アングルの三角絞めは完全に極っており、脱出できないアンダーテイカーは苦しむが、技を受けながらもそのままの体勢でアングルの両肩をマットに着け、ピンフォールを奪うことに成功した。しかし、レフェリーが3カウントを取ったその瞬間、アンダーテイカーは耐え切れず、マットをタップしてしまっていた。協議の結果、フォール成立とタップは同時であり、試合は引き分け、アンダーテイカーの王座防衛となった。こうして、公式な記録上は、アンダーテイカーはタップしていないことになった。 2009年9月13日、ブレーキング・ポイント、対CMパンク、サブミッション・マッチ形式WWE・世界ヘビー級王座戦 - アンダーテイカーはパンクにヘルズゲートを仕掛け、パンクをタップさせることに成功した。しかし、セオドア・ロングが現れ、ヘルズゲートはヴィッキー・ゲレロが禁止技に指定したことを指摘した。パンクのタップは取消になり、試合続行が命じられた。試合再開後、パンクは即座にアンダーテイカーにアナコンダバイスを仕掛けた。その瞬間、不可解なことに、ゴングが鳴らされ、アンダーテイカーの敗北が宣告された。アナコンダバイスを解くと、王座を防衛したパンクは逃げるように退場した。モントリオール事件を再現したロングの策略であった。公式な記録に、アンダーテイカーの関節技による敗北が残ったが、ここでもなお、アンダーテイカーはタップはしていない。 2015年8月23日、サマースラム、対ブロック・レスナー戦、レスナーの放ったキムラロックで苦しむ中、あと一歩のところでレスナーをフォールできそうなところを、アンダーテイカ―は耐えきれず、タップしてしまった。しかし、この時、レフェリーはアンダーテイカ―がタップした瞬間を見ておらず、試合を続行。アンダーテイカ―はその後、レスナーが勝ったことに浸っているところをすかさずローブロー。その流れでヘルズ・ゲートを決め、レスナーが中指を立てながら失神していくところを見届け、勝利した。 210cmの巨体にもかかわらず非常に身体能力が高く、ロープの上を渡ったりトップロープ越えのノータッチトペを決めたり出来るなど長身レスラーにはあまり見られない動きをすることが出来る。 また、全盛期からの衰えは見られるものの、ロープワークの俊敏さもアピールポイントの一つである。 長いキャリアの中で、90年代以降WWEに所属したほぼ全ての一線級のスーパースターと対戦した経験があるが、唯一クリス・ジェリコとの1対1での対戦はジェリコが1999年にWWE入団して以降長く実現せず、それから10年後の2009年が初めてとなった。 公式のデビューは先述の通り、1984年ダラスWCCWでのブロディ戦だが、本人によるとドン・ジャーディンの下でトレーニングを初めてまだ1〜2ヵ月しか経っていない時に、南アフリカ共和国のダーバンで2試合を戦っている。 2020年、ドキュメンタリー映画「ラストライド」内で、自身の好敵手としてブレット・ハート、カート・アングル、バティスタ、リック・フレアー、トリプルH、ショーン・マイケルズの名前を挙げている。
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