西シベリア・ヨーロッパ・ガス・ライン
読み方: にししべりあ よーろっぱ がす らいん
西シベリアのウレンゴイ・ガス田より、チェコスロバキアを経て西ヨーロッパ 10 力国(西独、フランス、イタリア、ベルギー、スウェーデン、オーストリア、フィンランド、オランダ、スイス、ギリシア)に通じるガス・パイプライン。 6 本の幹線ガス・パイプラインにより構成され、直径 56 インチ、総延長は 5,500km に及ぶ大規模なものである。パイプラインの建設は 1982 年より開始され 1985 年には完成の予定で、1984 年央にはすでに 5 本の幹線パイプラインが完成し稼働している。完成した 5 本のラインの天然ガスの輸送能力は 88 百万 m3/d であるが、6 本目が完成すれば、100 百万 m3/d を超える能力となる。建設工事は、大型河川、沼沢地、永久凍土地帯などにおいて(特に冬期には 50 ℃の低温となる)、厳しい自然条件の下で行われたほか長距離にわたってガスの輸送が行われるため、パイプラインの送圧は約 100 気圧が必要とされるが、西側からの輸入によることとしていたコンプレッサー・タービンなどの装置が、1981 年末のポーランド問題による対ソ制裁により輸入できなくなるなど、多くの困難があった。当初、イランのカンガン・ガス田より、ソ連南部にパイプラインにより天然ガスを供給する代わりに、西ヨーロッパがソ連より天然ガスを引き取るというスワップ取引の計画がイラン革命により 1979 年 7 月中断され、新たにこのパイプラインの建設計画がもち上がったというものである。このプロジェクトは、1981 年のポーランド問題を契機に政治問題化し、レーガン政権は、西側のソ連天然ガスへの依存が高まることが安全保障上問題であること、また、ソ連に外貨獲得の手段を与え、軍事的優位を招くことなどを理由に、批判的な態度をとっている。これに対し、西独などはこのプロジェクトが基本的に相互利益の関係にあり、OPEC よりの石油供給への依存を減らす意味からも重要なものとして、プロジェクトの推進に積極的な立場をとっている。 |
- 西シベリア・ヨーロッパ・ガス・ラインのページへのリンク