聖心愛子会設立
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ヨゼフ・ライネルス教区長に認められ、1920年5月31日、秋田市堀反で7人の日本人、3人のドイツ人とともに、初の邦人修道女会として、聖心愛子会を設立した 。このうち2人のドイツ人シスター、シスター・ベンノーザとシスター・ゲオルギーナは、1920年に聖霊会を離れ、創立に参加した。 8月には志願者が増えて手狭になり、秋田市寺町42番地の廃屋同然の家を借り受けて移転。すぐに近所の子どもたちを集めて日曜学校を開始した。市役所の許可を得て託児所(後の保育園)を開き、家庭巡回介護、寺町聖心園内に聖心養老院を開いた。 生活は苦しく、キリスト教への理解も低く、苦労の多い時代であった。 ヨゼフ・ライネルス教区長の支援により、1924年に秋田市保戸野新町10番地に本部を移す。養護施設である聖園天使園を創設。 1926年には名古屋市に聖心愛子会の支部を設け、翌年1927年には名古屋市に愛子幼稚園が開園した。同年にテレジアは秋田県知事より表彰を受ける。また、7月23日に国籍をドイツから日本に帰化し、聖園テレジアと改名した。 1930年、新宿御苑でおこなわれた、昭和天皇皇后主催の観菊会に社会事業功労者として招待されたその後も、各地に保育所、幼稚園、養護施設、肺結核療養所などを設置していった。テレジアは、各地の支部や施設を折にふれて巡回した。1938年、聖心愛子会の本部を神奈川県藤沢市に移転した。 1940年には、秋田県秋田市に聖園保母学院(現・聖園学園短期大学)を設立した。同年、社会事業大会で厚生大臣から社会事業功労者として表彰され、1942年には神奈川県知事から表彰を受けた。 第二次世界大戦の中、1943年に神奈川県藤沢市に聖園戦時保育所、1944年に横浜市に戦時保育所を開設した。空襲により、各地の支所に被害が出て、全焼するところもあった。藤沢市の本部も焼夷弾落下があったが、無事に戦後を迎えた。
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