経済多様化と開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:20 UTC 版)
「サウジアラビアの経済」の記事における「経済多様化と開発」の解説
政府は王国の伝統的なイスラムの価値観・慣習を維持しながらも、石油から得られた収益を、比較的未開発のものに変換していくことを狙っている。言い換えれば石油ベースの経済を現代的な産業国に変えていくことを意図している。経済企画がすべての目標を達成できているわけではないが、 経済は急速に成長を遂げている。石油の富はほとんどのサウジアラビア人の生活水準を向上させた。しかし人口が著しく増えたことで、国の生活水準をより一段と向上させることに政府が財源を振り向ける余裕はなくなってきている。石油収入への重度の依存が続いてはいるが、現在では工業と農業は経済活動でより多くの部分を占めるようになった。サウジアラビア人の学卒者が持つジョブスキルと、民間雇用市場での全レベルのニーズの間には依然としてミスマッチがあり、経済の多様化に大きな障害となっている。結果、460万人ほどの外国人が雇用されている。 サウジアラビアが経済を多様化させ、石油への依存を減らし始めたのは1970年代の第1次5ケ年開発計画だった。石油の副産物を原材料として、基礎的な石油化学産業が開発された。ペルシャ湾の漁村だったジュバイルと紅海沿岸のヤンブーが開発されたが、サウジアラビアの経済に与える影響は限定的にとどまった。 サウジアラビアの第1次および第2次開発計画は1970年代に実施され、インフラが重点化された。結果はめざましく、高速道路の舗装された距離はそれまでの3倍に、発電は28倍に、港湾の容量は10倍に成長した。1980年から85年にかけての第3次計画では、重点の置き方が変化した。インフラ投資は減少し、教育、健康、社会サービスが著しく成長した。経済多様化の割合と、経済の生産性の高いセクター(主に工業)の拡大は計画したほどには成長しなかったものの、石油とガスの利用を中心として鉄鋼、石油化学製品、肥料、石油精製物を生産するべく建設されたジュバイルとヤンブーの2大工業都市は概ね完成した。 第4次計画(1985-90年)では、サウジアラビアの基礎的インフラはほぼ完成したとみなされ、一方で教育と職業訓練は懸念の的であった。民間企業が推奨され、サウジアラビアの公営企業と民間企業でのジョイントベンチャーのかたちでの外国投資が歓迎された。民間セクターはますます重要性を増し、1987年までに非石油のGDPで70%を占めるまでになった。民間投資セクターは依然として貿易・商業に集中していたが、民間投資は工業、農業、銀行業、建設業で増加した。これらの民間投資は大盤振る舞いな政府の融資と奨励金プログラムで支援されていた。民間セクターでの目的は、ジョイントベンチャー企業で70〜90%の民間資本の所有権を持つことだった。 第5次計画(1990-95)では国防強化、政府の社会保障の向上および効率化、地域開発、そして何より重要だったのが外国人労働者数を減らして民間企業でのサウジアラビア人の雇用機会を増大させることだった。 第6次計画(1996-2000)は、政府のサービスを削減せずにコスト低減し、教育訓練プログラムを拡充することに焦点を当てた。このプランは経済活動を多様化し、とりわけ民間分野では工業と農業に重点を置いて、石油セクターへの依存を減らすことを要請した。労働力の「サウダイゼーション」の努力も継続している。 2000年から2004年にかけての第7次計画では、サウジアラビアの経済の多様化と民間セクターへのより大きな役割について、さらに集中がおかれた。この5年間にかけて、政府は平均GDP成長率目標を毎年3.16%とし、民間セクターで5.04%、非石油セクターで4.01%の成長を見込んでいた。またサウジ国民に対する新規雇用目標を81万7300人と設定していた。 広告費は付加価値型製造業の強化に伴い、過去最高を記録した。 経済多様化の一環として、サウジアラビアは中国やその他の国と、大規模製油所の契約に調印している。
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