禅鳳能楽論の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:11 UTC 版)
能楽論は、世阿弥『風姿花伝』に創まる。世阿弥の死後は娘婿・禅竹が特色ある著作を残し、禅鳳もまた、この二人の先達を引き継ぐ形で多くの能楽論を残した。 しかし近代以降世阿弥の研究が多岐に渡って行われ、多くの人々に広く読まれているのに対し、禅竹は「観念的」「難解」と一段低く見られる傾向が強く、禅鳳以降にもなるとほとんど顧みられていない。事実禅鳳以後、室町後期から江戸初期にかけての能伝書は即物的・実用的な教科書・技術指導書としての色彩が強く、「能楽とは何か」を問う世阿弥などの芸術論的著作とはかけ離れたものとなっていく。 禅鳳の著作にもそうした種類のものが多い一方で、『元安本五音之次第』などの重厚な著作もある。禅鳳の活躍した時代には「猿楽」というものは既にほぼ確立されており、禅鳳に出来たのは、それをより技術的に洗練することだけであった。いわば禅鳳は、世阿弥・禅竹の芸論と、近世の芸論を繋ぐ過渡期の著述家であったと評価することが出来る。それ故に、世阿弥・禅竹期の猿楽がいかに継承され、いかに変わっていったかを知るかには、まさにその著作は第一級の資料であるし、また逆に後世の能伝書に与えた影響は極めて大きい。 また『禅鳳雑談』で見られる、茶道の村田珠光、連歌の宗砌、華道の池坊専順、尺八の聞阿弥など当時の他の諸芸の名人たちの言葉への言及も、禅鳳能楽論の特徴である。
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