石見銀山とは?

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いわみ-ぎんざん いはみ― 4 【石見銀山】

(1)島根県大田(おおだ)市大にあった大銀山一六世紀初頭発見され、江戸時代には幕府直轄となり、一七世紀初頭最盛期1923年大正12休山大森銀山

(2)石見銀山から出るヒ石で製造した殺鼠(さつそ)剤。毒薬にも使われた。
「―鼠とりでも食つたらう/滑稽本浮世風呂 4」


歴史民俗用語辞典

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石見銀山

読み方:イワミギンザン(iwamiginzan)

戦国時代以降島根県銀山



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石見銀山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 08:00 UTC 版)

座標: 北緯35度06分46秒 東経132度26分06秒 / 北緯35.11278度 東経132.435度 / 35.11278; 132.435

世界遺産 石見銀山遺跡と
その文化的景観
日本
清水谷精錬所跡
清水谷精錬所跡
英名 Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
仏名 Mine d'argent de Iwami Ginzan et son paysage culturel
面積 核心地域 442 ha
緩衝地域 3221 ha
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2), (3), (5)
登録年 2007年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示

石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。当時世界の銀の3割を産出したと推定される。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。明治期以降は銅などの鉱物が主に採鉱された。

目次

概要

龍源寺間歩(入口)

鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年昭和44年)に国によって史跡に指定。2007年平成19年)6月28日ニュージーランドクライストチャーチで開催されていた世界遺産委員会ユネスコ世界遺産(文化遺産)への登録が決まり、7月2日に正式登録された。一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている[1](後述の「登録までの経緯」の節参照)。2007年には日本の地質百選にも選定されている。

初期には仙ノ山山頂付近から自然銀に富む福石(ふくいし)が主に産出し、開発が進行するにつれ地下深くなり、銀を多く含む黄銅鉱黄鉄鉱方鉛鉱などの永久鉱床(えいきゅうこうしょう)の採掘に移行していった。

石見銀山の発見

石見銀山の発見について『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の延慶2年(1309年)に周防の大内弘幸が石見に来訪して北斗妙見大菩薩(北極星)のお告げによりを発見したという伝説について記しており、この頃からある程度の採掘がなされていたものと考えられている[2]

その後、大内氏が一時的に採掘を中断していた石見銀山を再発見し、本格的に開発したのは博多の商人・神谷寿貞(姓については神屋、名については寿禎・寿亭とも表記される)であるとされている[3]。海上から山が光るのを見た神谷は[4]領主大内義興の支援と出雲国田儀村の銅山主・三島清右衛門の協力を得て1526年大永6年)3月、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出した[5]。義興の死後、大内義隆九州経営に気を取られている間、1530年享禄3年)に地方領主・小笠原長隆が銀山を奪い、3年後に大内氏が奪回した。大内氏は山吹城を構えて銀山守護の拠点とした。1533年天文2年)8月、神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き海外渡来の銀精錬技術である灰吹法[6]に日本で初めて成功した[7]。この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦(仁摩町馬路)・沖泊(温泉津町)から鉱石のまま積み出され取引された。

銀山争奪

1537年(天文6年)、出雲の尼子経久が石見に侵攻、銀山を奪った。2年後に大内氏が奪還したものの、その2年後に尼子氏が石見小笠原氏を使って再び銀山を占領、大内氏と尼子氏による争奪戦が続いた。大内義隆の死後は、毛利元就が尼子氏との間で銀山争奪戦を繰り広げ、1556年(弘治2年)忍原崩れ、1559年(永禄2年)降露坂の戦い、1561年(永禄4年)~1562年(永禄5年)の雲芸和議をへて最終的に毛利氏が勝利を収めて石見銀山を完全に手中に収めた。そして、山吹城には吉川元春の家臣・森脇市郎左衛門が置かれた[8]。同年12月には石見銀山を朝廷御料所として献呈する。その後、1584年天正12年)に毛利氏が豊臣秀吉に服属することになると、銀山は豊臣秀吉の上使である近実若狭守と毛利氏の代官である三井善兵衛の共同管理となり、秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも充てられた[9]天正19年(1591年)、毛利輝元は豊臣秀吉の命により石見銀山を始めとする領国の銀山を治めるため林就長および柳沢元政を奉行に任命した。慶長2年(1597年)には輝元より秀吉に銀3000枚(129、約480キログラム)が運上されている[10]




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  1. ^ 島根県教育委員会『石見銀山とその文化的景観』(53頁)2007年
  2. ^ 豊田有恒 『世界史の中の石見銀山』 祥伝社新書、2010年、pp.31-32。ISBN 9784396112028
  3. ^ 大田市三十周年記念誌編さん事務局編『大田市三十年誌』(53頁~54頁)1983年
  4. ^ これは山頂に露頭した自然銀が月光に反射したものであると考えられている。(豊田p.36)
  5. ^ 豊田有恒 『世界史の中の石見銀山』 祥伝社新書、2010年、p.34。ISBN 9784396112028
  6. ^ 灰吹法の伝播経路は、中国由来説と朝鮮由来説がある。前者は田中健夫『中世海外交渉史の研究』(東京大学出版会、1959年)など、後者は小葉田淳『日本鉱山史の研究 』(岩波書店、1968年)など。
  7. ^ 『大田市三十年誌』(54頁)
  8. ^ 仁摩町誌編纂委員会編『仁摩町誌』(169頁)1972年
  9. ^ 『仁摩町誌』(169頁)
  10. ^ a b 小葉田淳 『日本鉱山史の研究』 岩波書店、1968年
  11. ^ 『輝きふたたび 石見銀山展』島根県立古代出雲歴史博物館,石見銀山資料館,2007年
  12. ^ 石村禎久著『石見銀山-戦国の争乱・鉱山社会・天領』(84頁)1988年
  13. ^ 『大田市三十年誌』(57頁)
  14. ^ 『仁摩町誌』(178頁)
  15. ^ 温泉津町誌編さん委員会編『温泉津町誌(中巻)』(91頁)1995年
  16. ^ 石村禎久著『石見銀山-戦国の争乱・鉱山社会・天領』(99頁)1988年
  17. ^ 『仁摩町誌』(177頁)
  18. ^ 『温泉津町誌(中巻)』(522頁)
  19. ^ 石村禎久著『石見銀山-戦国の争乱・鉱山社会・天領』(189頁)1988年
  20. ^ 原龍雄編『目で見る石見の100年』(42頁)1999年,郷土出版社
  21. ^ 石村禎久著『石見銀山-戦国の争乱・鉱山社会・天領』(195頁)1988年
  22. ^ 『大田市三十年誌』(69頁)
  23. ^ a b 石見銀山の歴史略年表”. 石見銀山世界遺産センター. 2011年12月9日閲覧。
  24. ^ 石見銀山(いわみぎんざん)の由来”. 中国地質調査業協会. 2011年12月9日閲覧。
  25. ^ イコモス評価書の概要判明”. 山陰中央日報 (2007年5月19日). 201-12-10閲覧。
  26. ^ 「石見銀山遺跡とその文化的景観」の評価・審査をめぐって (PDF)”. 島根県教育委員会. 2011年12月10日閲覧。
  27. ^ 石見銀山遺跡とその文化的背景”. 石見銀山世界遺産センター. 2011年12月9日閲覧。
  28. ^ 銀山登録の秘話、大使が語る”. 中国新聞 (2007年9月9日). 2007年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。[リンク切れ]
  29. ^ 大久保間歩”. 大田市観光協会. 2011年12月10日閲覧。
  30. ^ 石見銀山大久保間歩一般公開限定ツアー”. 石見観光. 2011年12月10日閲覧。
  31. ^ 石見銀山遺跡の保全や活用策 官民一体で探る”. 山陰中央新報 (2004年6月27日). 2011年12月10日閲覧。
  32. ^ 石見銀山遺跡ニュース Vol.11 (PDF)”. 島根県太田市教育委員会. p. 11 (2007年). 2011年12月10日閲覧。
  33. ^ ユネスコ近藤大使 「延期」逆転へ最善の努力断言”. 山陰中央日報 (2007年5月29日). 201-12-10閲覧。
  34. ^ 世界遺産登録1周年記念でクリーン銀山”. 山陰中央日報 (2008年7月7日). 2011年12月10日閲覧。
  35. ^ Jonathon Keats  (2011 11). “Why Wikipedia Is as Important as the Pyramids”. WIRED. 2011年12月10日閲覧。
  36. ^ 世界遺産は楽じゃない 騒音やゴミで「観光公害」”. 朝日新聞 (2011年6月21日). 2011年12月10日閲覧。






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