三宅御土居跡とは? わかりやすく解説

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三宅御土居跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 07:57 UTC 版)

三宅御土居跡(みやけおどいあと)は、島根県益田市三宅町にあった城館。同市七尾町・大谷町にある七尾城(益田城)とともに国の史跡益田氏城館跡」に指定されている。


注釈

  1. ^ その他、上久々茂土居(益田市久々茂町)や大谷土居(益田市大谷町)が益田氏の居館跡と推定されており、益田川の上流から下流へと徐々に移転していったと考えられている。
  2. ^ 南北朝時代、益田氏の宗家は北朝方であった。
  3. ^ 三宅御土居跡の北側に「土井後」というが存在しており、南側が館の正面であることを裏付けている。
  4. ^ 交差点に埋め込んである表示線の右側(手前)が堀跡、左川(奥)が堀内。

出典

  1. ^ a b c d e 現地説明板「国史跡 益田氏城館跡 三宅御土居跡」
  2. ^ a b c d e f 益田氏城館跡「三宅御土居」”. 益田市. 2009年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月15日閲覧。
  3. ^ 松龍山泉光寺 (「三宅御土居」保存のための移転工事)”. 2015年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月15日閲覧。
  4. ^ a b 益田の歴史・文化 益田氏”. 益田歴史を活したまちづくりの会. 2015年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月15日閲覧。
  5. ^ 現地説明板「堀跡」
  6. ^ 現地説明板「掘立柱建物」


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