石勝線特急列車脱線(火災)事故
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「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の記事における「石勝線特急列車脱線(火災)事故」の解説
★2011年(平成23年)5月27日 21時56分頃(列車脱線事故、列車火災事故) JR北海道で相次いだ一連の事故と不祥事のうちの1件。石勝線占冠駅 - 新夕張駅間を走行中の釧路発札幌行きの特急「スーパーおおぞら」14号(キハ283系、6両編成)が清風山信号場内で脱線、信号場構内の第1ニニウトンネル内に停止後に全車炎上した。 248名の乗客は車掌の指示で発煙があった車両から別の車両に避難したが、その後乗務員が状況確認や運輸指令との連絡に手間取り、車内に煙が充満した。乗客が自らの判断で非常ドアコックを使用して外へ避難。煙を吸い込むなどして39名が病院に搬送された。運輸安全委員会鉄道事故調査官並びに北海道旭川方面富良野警察署による事故原因調査も実施されている。 その後行われた、JR北海道による事故現場調査では、3号車(札幌方先頭から4両目)の台車にある減速機を支える「吊りピン」と呼ばれる金属部品の脱落を確認し、次位の2号車(先頭から5両目)はトンネルに入る以前から脱線していたことが判明している。事故2日前に行われた目視検査では、異常が発見されていなかった。道警は事故後、釧路駅 - 札幌駅間を捜索したが、脱落した部品は事故から10年以上経過した2021年現在も見つかっていない。 乗務員の指示を待たずに非常ドアコックを使用して外へ避難した乗客に対して社員が激怒したことが問題になったが、これは当時の異常時マニュアルで運輸指令の指示がないと乗客を外へ避難させることができなかったことが理由とされている。しかし、このマニュアルが避難誘導が遅れた原因となった。さらにこうした異常時マニュアルが部署別に多数作成されており、内容もそれぞれ異なっていることが発覚したため、国土交通大臣より事業改善命令を受けている。後にマニュアルは改訂・一本化され、現場の判断での避難も可能とされた。 事故車両は廃車となり、代替車両として機能を簡素化したキハ261系気動車が新製された。事故の4か月後の同年9月には、JR北海道の中島尚俊社長が安全意識の向上を社員に促す遺書を残して自殺した。 2013年(平成25年)5月31日、運輸安全委員会は、車輪の剥離やへこみにより生じた異常な振動により部品が脱落したことが、事故の原因になったとする調査報告書を発表した。4両目の車輪の踏面が長さ40センチメートルにわたって剥離し、4.5ミリメートルのへこみが生じたことにより、異常な振動が発生し、減速機を固定していた吊りピンが脱落。減速機が垂れ下がって枕木に衝突したり、その衝撃で推進軸など周辺の部品が脱落したことにより、脱線および火災を招いたと推定している。JR北海道は、運輸安全委員会の求めに応じ、再発防止策をまとめ、7月31日に委員会に提出した。また、車輪の異常摩耗が事故の原因となったことを受け、すり減った車輪を修正する在姿車輪旋盤の増設などの対策に取り組んでいる。
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