直心影流に関連する話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 05:40 UTC 版)
鹿島神流第十九代師範家の關文威によると、「善弥にとっての國井家相伝鹿島神流の内容が、國井宗家としての鹿島神流と本岡忠八藤原因質の系統の直心影流との師範家との融合によって形成されているので、國井家相伝鹿島神流と直心影流は他流ではない」とのことである。 道統:軽米克尊「直心影流に関する研究」から抜粋引用し略して記載。 ・直心流・神谷伝心斎(1582-1663?) 「紙屋伝心六十七歳ニテ一流見出シ、直心流ト極メ致御伝授ニ付、改兵法之根元」 15の流派を学びそこから直心流を作った。伝書に 「八相」「一当」「重端一身」「右天左天」という 4 本の形名があり、小笠原源信斎の『真之心陰兵法目録』の形名と共通していることから ある程度影響があり、学んだ流派の一つだろうと推察。 ・直心正統流・高橋弾正左衛門重治(1610‐1690?) 神谷伝心斎の33人の弟子の一人。他の弟子の剣術を批判。自流を「直心正統流」と名乗り、区別化を図った。 ・直心正統流二代・山田平左衛門光徳(1638‐1716?) 著書『兵法雑記』にて「高橋弾正左衛門は自流を世に広め、免状を 20 人余りの者に授けたが、終に正しい理を持つ真実の修行者がいなくなってしまったという。 このような経緯から光徳は自身が世に功を立てるような人間ではないものの、この直心正統流の二代を相続した。そして、今年70歳になり、余命が十分ではないが一道の廃絶を嘆く余りに後継者を残すことを願い、このことに残りの命を費やす」と記す。 後世の伝承では山田平左衛門光徳が直心影流を名乗ったとされているが 『兵法雑記』の記述から70歳まで「直心正統流二代」を名乗り、 この70歳の時に流儀の免状・裏書を長沼国郷に授けたということが明らかになっている。つまり長沼国郷は山田平左衛門光徳から直心影流ではなく直心正統流を継承している。 ・直心影流・長沼四郎左衛門国郷(1688‐1767) 直心影流の創始者(流名を直心影流に改めた) 直心正統流と直心影流の目録を比較すると、しない打ち込み稽古の基本の形である十之形の「龍尾」から「曲尺」までの項目が新しく追加されていることが確認できる。 この形に加え「相尺之事」「留三段之事」「切落之事」「吟味之事」の習が更に追加されている。これらの項目は直心正統流二代・山田平左衛門光徳の『兵法雑記』には確認できず、長沼国郷の『直心影流目録口伝書』に記述されているため、直心影流の成立にあたり、長沼国郷によって付け加えられたものであると考えられる。 流祖松本備前守の存在も、高橋、山田の代では元祖神谷氏伝心だったが長沼国郷になってから改変されたと考えられる。 鹿島神流「日本武道の淵源 鹿島神流」では鹿島神伝、松本備前守から始まったことを記載しており、その武道真理の説明では、応用真理という名で直心影流の目録の内容が記載されている。特に「相尺」「留三段」「切落」「吟味」というのは直心正統流に 長沼国郷が付け加えた内容であるので直心影流の影響を受けたと推察される。
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