生い立ちと陸軍生活とは? わかりやすく解説

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生い立ちと陸軍生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 02:03 UTC 版)

加藤哲太郎」の記事における「生い立ちと陸軍生活」の解説

父の一夫神田豊穂らと春秋社興し日本初の『トルストイ全集』を刊行し成功収めたまた、アナキズム傾倒していた。 1923年9月1日関東大震災が起こると、9月5日一夫巣鴨警察留置され9月7日東京退去条件にようやく釈放された。このため加藤一家は兵庫県武庫郡精道村(現・芦屋市)への転居余儀なくされた。 1928年神奈川県横浜市転居1940年哲太郎は慶應義塾大学卒業卒業論文の「支那塩業論」は、翌1941年に『中華塩業事情』(住吉信吾との共著出版は龍宿山房)の表題公刊された。哲太郎は北支那開発株式会社入社し北京渡った1941年8月徴兵検査を受け甲種合格12月召集され中国大陸出征した。 のちに哲太郎が発表した『私はなぜ「貝になりたい」の遺書書いたか』によると、哲太郎らは初年兵実践的訓練名目に、八路軍嫌疑捕まった中国人捕虜10人ばかりの処刑命じられた。八路兵ではないかもう一度調べてくれと叫ぶ少年がいたので、哲太郎は思わず前に出て命令下した中尉そのこと告げた中尉は「きさま、血を見て逆上したな。いいか、これは憲兵隊で十分調べられて、八路とわかっているのだ。たとい一人二人良民まじっていたって、もう手遅れだ。この処刑中隊長殿から命ぜられた。命令天皇陛下命令だ。お前は命令がどんなものである知っているだろう。たとい間違っていても、命令命令だ。ことの如何を問わず命令を守らなければ戦争はできん。わかったか。わかったひっこめ」と発言し哲太郎は引っ込めといわれたのを幸いに自らは手を下さなかったが、捕虜結局処刑された。 同年幹部候補生となって内地帰還するも、再び北京出征した1942年内地戻り宇都宮配属される次いで英語に堪能である事を買われ東京大俘虜収容所勤務回された。 哲太郎は東京日立任地変え俘虜労務管理責任者となった実績買われ1944年には新潟東京捕虜収容所第五分所長に就任俘虜死亡率高く赤十字社から視察申し入れがあったため、俘虜無事に越冬させるよう見込まれのである哲太郎は俘虜待遇改善取り組んだが、物資不足の状況では限界があった。時には陸軍刑法犯してでもストーブ導入など、待遇改善させたが、一方で暴力振るった俘虜一人であったケネス・カンボンは、哲太郎を「確かに収容所状況改善してくれたが、(中略意地悪い気質サディスティック性癖は、俘虜衛兵双方から忌み嫌われていた」と評している。また、待遇改善も、俘虜会得する国際法ジュネーヴ条約によれば、それは全く不十分なものと受け止められた。そして1945年二度脱走図った俘虜銃剣処刑される事件起こった極東国際軍事裁判東京裁判)で争われた、事実関係詳細は#異例の再審参照)。 日本太平洋戦争敗戦すると、哲太郎は俘虜虐待と殺害の容疑戦犯BC級戦犯)に問われるとなった俘虜一人好意逃亡勧められ姓名変えて各地転々とした。また、収容所部下に対しては、罪は自分一人引き受けるから、皆は助かれと言ったこの間戸塚福子結婚した横浜開かれたBC級戦犯法廷で、新潟での哲太郎の部下らも裁かれたが、一律5年の刑で済んだまた、哲太郎の前後収容所長は死刑免れ最高責任者俘虜管理部長・田村中将重労働8年済んだ。これらは、哲太郎が逮捕されれば、全責任を取らされ死刑となることを意味していた。 1948年11月東京小平町の仮の住居哲太郎は逮捕されBC級戦犯としてスガモプリズン拘禁された。

※この「生い立ちと陸軍生活」の解説は、「加藤哲太郎」の解説の一部です。
「生い立ちと陸軍生活」を含む「加藤哲太郎」の記事については、「加藤哲太郎」の概要を参照ください。

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