特設艦船時代とは? わかりやすく解説

特設艦船時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 14:09 UTC 版)

浮島丸 (特設巡洋艦)」の記事における「特設艦船時代」の解説

日米関係悪化する中、1941年昭和16年9月3日付で、「浮島丸」は日本海軍徴用された。四一式15cm単装砲4門と九二式7.7mm機銃2丁を装備するなどの改装工事を受け、特設巡洋艦として就役した。5000総トン弱という船体規模は、日本特設巡洋艦の中で小柄な部類である。当初佐世保鎮守府佐世保警備戦隊所属した太平洋戦争開始後1942年昭和17年4月10日日本海軍海上護衛専門におこなう特設海上護衛隊第一海上護衛隊第二海上護衛隊)を編成する第一海上護衛隊司令官井上保雄中将)は聯合艦隊および南西方面艦隊属し内地台湾東南アジア海域護衛担当する編成直後第一海上護衛隊は、旧式駆逐艦10隻(第13駆逐隊若竹呉竹早苗》、第22駆逐隊文月皐月水無月長月》、第32駆逐隊刈萱朝顔 芙蓉》)、水雷艇2隻(、隼)、特設艦船6隻(浮島丸華山丸、唐山丸、北京丸、長壽山丸、でりい丸)よって編成され、「浮島丸」(直率部隊)は第一海上護衛隊旗艦指定された。4月19日、「浮島丸」(井上中将旗艦)は呉を出港門司佐世保馬公市高雄港サイゴン経由し5月10日シンガポール到着した第一海上護衛隊司令部シンガポール置かれた。担任海域広さ航路長大に対して第一海上護衛隊戦力は完全に不足していたが、米潜水艦活動低調にも助けられ損害許容範囲抑えられていた。 同年8月5日第二海上護衛隊特設巡洋艦能代丸」が特設運送船籍に移り第二海護から除かれる同日附で、「浮島丸」は「能代丸」の穴埋めとして第二海上護衛隊転出した。「浮島丸」は8月14日シンガポール出発しマカッサルパラオ経由8月27日トラック到着8月30日から9月5日にかけて輸送船筥崎丸」を護衛トラックマーシャル方面)した。その後日本本土トラック泊地ラバウル間の船団護衛担当した1943年昭和18年3月15日付で、「浮島丸」は第二海上護衛隊第四艦隊)より除かれ日本本土防空用の特設監視艇部隊である第二十二戦隊異動した翌月には特設砲艦類別変更となり、特設監視艇母艦として日本本土東方での洋上哨戒従事した大戦後半には対空兵装として九六式25mm機銃装備されている。哨戒中に潜水艦しきもの狙われて、爆雷による対潜戦闘を経験することもあった。 1945年昭和20年2月20日には、特設運送艦へと再度類別変更受けている。同年4月9日には、輸送任務中に岩手県沖でアメリカ潜水艦襲われ護衛の「第三号掃海艇」が「パーチー」に撃沈され、自身も「サンフィッシュ」の雷撃を受けるも被害免れている。「浮島丸」は行動可能な状態の数少ない優秀商船として終戦の日迎えた終戦後、「浮島丸」は、日本本土から朝鮮半島との輸送役務充てられた。しかし、1945年8月24日朝鮮への多数便乗者を乗せ釜山へと向かうところ、出港後に発令され連合軍命令により行動中止し舞鶴港目的地変更した舞鶴入港中に米軍敷設した機雷爆発により船体中央部二つ折れて轟沈し、数百人の犠牲者出した浮島丸事件)。自沈たとする陰謀論長く主張された。

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