地名
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 22:51 UTC 版)
地名(ちめい、英: geographical name, place name[1])は、土地に対して付けられた固有名詞[1]。
注釈
- ^ 小国や地方の名前には、音を表す字に「邑」(おおざと)を附記し、山の名前には音を表す字「山」を附記し、河川や湖沼の名前には音に水部(さんずい)を附記するなど。「邾」「郫」「鄞」「嶗」「岷」「灕」「滇」「灞」がその例。
- ^ 『続日本紀』和銅6年5月2日条 : ここに見える詔には二字とは書かれていないが、この時点を境にかなり強引に二字にされたことが木簡資料などで確かめられている。
- ^ 「津(つ)」が「摂津(つ)」に変更され、字に引きずられて「摂津(せっつ)」に変化する、など。「群馬」もその例である。
- ^ 「二荒(ふたら)」を「にこう」と読み替えた上で「日光(にっこう)」の字をあてる、など。
- ^ 「塩竈」と「塩釜」など。
- ^ 椙村大彬『地理名称の表現序説』14頁。英語なら川、海、山脈、砂漠には定冠詞を付けるが、集落など他の地名には原則として付けない。スペイン語では普通名詞からとった集落名には定冠詞を付けるのが原則である(La Paz ラパス)など)。
- ^ ジョージ・ワシントンからワシントン特別区、クリストーバル・コロンからコロンビアなど。椙村大彬『地理名称の表現序説』84頁。
- ^ グアイカイプロからグアイカイプロ市など。
- ^ 中華民国は1925年(民国14年)に孫文(孫中山)の生地を「香山県」から「中山県」に改称した。ドミニカ共和国の「サントドミンゴ」はトルヒーヨ大統領によって「シウダー・トルヒーヨ」と改められ、アルゼンチンの「ラプラタ市」はペロン大統領によって妻の名と同じ「エヴァ・ペロン」とされたが、いずれも政権崩壊後に戻された。椙村大彬『地理名称の表現序説』86頁。アメリカ合衆国の「ケープ・カナベラル」は暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の名を採って「ケープ・ケネディ」と改めたが、後に戻された。
- ^ 姓+「家荘」、姓+「鎮」、姓+「村」という形で名づける。
- ^ 東京と大阪にある日本橋など。
- ^ アメリカ合衆国のモンタナ州アナコンダ、日本の愛知県豊田市、奈良県天理市など。
- ^ 英語で使われ日本語でも用いられる近東(Near East)・中東(Middle East)・極東(Far East)。
- ^ 日本では肥前国と肥後国などにみられる。
- ^ 九嵕山(きゅうそうざん)の南、渭水の北に当たり「咸(みな)陽」
- ^ 詳しくは「グリーンランド#「グリーンランド」の由来」を参照のこと。
- ^ 「火星#地形」「金星#地形」「水星#地形」を参照のこと。
- ^ 「月#地名」「フォボス (衛星)#地形」「エウロパの地形一覧」「イオ (衛星)#地質」「カリスト (衛星)#表面の地形」「タイタン (衛星)#表面の特徴」「トリトン (衛星)#物理的特徴」等を参照のこと。
- ^ 「イトカワ (小惑星)#地名」を参照のこと。
出典
- ^ a b c d 『ブリタニカ国際大百科事典』「地名」
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 2-7頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 9-11頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 41頁。
- ^ a b 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 44頁。
- ^ a b 椙村大彬 『地理名称の表現序説』
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 84-86頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 89頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 76頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 98-109頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 46頁。
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 42-43頁にニューファンドランド島の多数の例を引く。
- ^ 谷川健一「地名は日本人のアイデンティティ」全国町村会・論説(第2664号・平成21年1月12日)2018年3月18日閲覧
- ^ 【わがまちお宝館】川崎市教委地名資料室(高津区)「大地の索引」歴史たどる『朝日新聞』朝刊2018年2月7日(第2東京面)
- ^ 椙村大彬 『地理名称の表現序説』 179頁。
- ^ a b c d e f g “地名等の英語表記ルールと外国人向け地図記号を決定”. 国土地理院広報第575号(2016年5月発行). 国土地理院. p. 10. 2020年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月5日閲覧。外国人にわかりやすい地図表現検討会 (2016年1月6日公表). “第1部 地図に記載する地名及び施設名の英語表記方法について” (PDF). 地名の英語表記及び外国人にわかりやすい地図記号について. 国土地理院. pp. 4-22
汎称地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 04:32 UTC 版)
「板橋」は、旧中山道宿場などの歴史的地名・橋梁名・駅名・東京都の自治体名でもあるため、様々な意味合いで用いられる汎称地名である。時代により指し示す地域が異なる。 中山道の整備・宿駅伝馬制度確立(江戸時代初期)以前については板橋郷を参照。 中山道の宿場時代(江戸時代)については板橋宿を参照。 旧中山道の橋梁については板橋 (石神井川)を参照。 鉄道の駅については板橋駅を参照。 東京都の自治体としての板橋については板橋区を参照。自治体名としての「板橋」として、現代では区内全体を指す地名としても使われる。そのため企業の支店名や店舗名などで、志村、上板橋、赤塚地域に立地する場合でも「板橋」を名乗る事例がみられる。一例として、旧志村前野町に立地する「イオンスタイル板橋前野町店」、志村一丁目に立地する「凸版印刷板橋工場」、舟渡四丁目に立地する「日本金属板橋工場」など。
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汎称地名
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汎称地名としての「目白」は新宿区下落合も「目白」と呼ばれることがあり、椎名町や西池袋といった目白からかなり離れた地域でも集合住宅名に目白を冠したものが存在する。 このうち新宿区下落合三丁目は明治時代に近衛氏、水上氏、相馬氏の旧華族の大邸宅が建ち、その後一般に分譲された現在の下落合二~四丁目に大正時代、箱根土地株式会社(後のコクド、現在は解散)が開発・分譲した「目白文化村」である。50年以上住んでいる目白住民は「目白が丘」と呼ばれる「高台」部分を「目白」と認識しており、実際の下落合駅付近や中井駅付近は、その「高台」からはずっと離れておりなおかつそれらの駅自体は「高台」より下にあるため、目白としての認識度は薄い。 近隣の文京区目白台や新宿区下落合が、その「高台」部分でありそれを総称して「目白」と呼ばれることが多い。具体的には、キリスト教の教会である目白聖公会は、豊島区の目白ではなく、新宿区下落合にあるが、最寄り駅は目白駅であるため、そのような名称とされている。クリスマスには目白聖公会の敬虔な信徒により目白駅前でクリスマスキャロルを歌う「キャロリング」を行うのが恒例行事となっている。
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