比定地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/08 05:44 UTC 版)
和歌山県和歌山市小野町(おのまち) - 水門吹上神社境内に「男水門顕彰碑」が建立されている。 大阪府泉南市男里(おのさと) - 男神社境外摂社浜宮境内に「雄水門顕彰碑」が建立されている。
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比定地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:45 UTC 版)
日本書紀に現れる各地名の比定地は定まってない。「(廃)」は現存しない。 娜大津「那の大津(なのおおつ)」を旧地名とする、博多津(現在の福岡県福岡市の博多湾)に比定 「干娜大津」高知県高知市朝倉付近の旧地名(朝倉神社) 磐瀬行宮那の津の「官家(みやけ)」の地。書紀巻18宣化天皇「修造官家、那津之口」より。「官家」の比定地も諸説あり、福岡県福岡市南区三宅(地名より)、比恵遺跡(福岡市博多区。旧地名にも「官田」「三宅田」などあり)などがある。 龍頭遺跡群(廃)(福岡県那珂川市梶原)ほか、同町の安徳台遺跡群や裂田神社。 高宮八幡宮(福岡県福岡市南区高宮)。近所に「磐瀬」の旧地名。 御館山の御館社(廃)(福岡県中間市岩瀬)、中間駅近く 村山神社(愛媛県四国中央市) 朝倉橘広庭宮(後述)福岡県朝倉市の地(須川、宮野、山田の各地区、あるいは杷木志波) 朝倉神社(高知県高知市朝倉) 朝倉橘広庭宮の所在地は現在の福岡県朝倉市の地とされるが、具体的な場所は特定されていない。朝倉市大字須川には奈良時代の寺院跡である長安寺廃寺跡が残っており「橘廣庭宮之蹟」の碑が建てられている。山田の恵蘇八幡宮にも「木の丸御所の地」の碑文がある。 高知県高知市朝倉丙にある朝倉神社の社伝では、朝倉橘広庭宮は同社にあたるとしている。また同社では、社殿背後に立つ「赤鬼山」が『日本書紀』に記述のある「鬼が天皇の喪の儀式を覗いていた山」であると伝えられる。
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比定地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:58 UTC 版)
神話に登場する地名の比定地は、志羅紀を新羅国、去豆を許豆神社のある出雲市小津町、支豆支の御埼を出雲市大社町日御碕、北門を北方の出入口の意とし出雲の日本海側の港、佐伎を出雲市大社町鷺浦、多久をかつて多久社や多久川のあったとされる松江市鹿島町北講武など、狭田を松江市鹿島町佐陀本郷など、農波を松江市島根町野波、宇波をかつての手染(たしみ)郷とされる松江市手角(たすみ)町、闇見を久良弥神社のある松江市新庄町、高志を北陸地方(越前・越中・越後)、都都を能登半島の北端珠洲岬、三穂を島根半島の東端の松江市美保関町とする説がある。 しかしこの解釈の場合、第一段と第四段が出雲外から新羅や珠洲を出雲に引いてきた事に対して、第二段と第三段は出雲の日本海側の佐伎や農波を出雲に引いてきた事になり「島根半島内部のスケールの小さな話」となり、国引きとはいえないという意見があり、北門を越後付近もしくは石川県と解釈する説もある。または北門を隠岐として前者を隠岐道前、後者を隠岐道後とする説もある。
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