所沢市松が丘説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 03:09 UTC 版)
入間郡側、すなわち埼玉県所沢市側に比定地を求める唯一の説である。比定地は所沢市松が丘1丁目31番地14で、現在でいうと所沢の新興住宅地である松が丘の東に位置する。後述の東村山市諏訪町説と並び東山道武蔵路の通過していた地でもある。 古くから跡地として伝承されていたようで、5つある比定地の中では唯一「武蔵国悲田処跡」と書かれた標柱が立つとともに、周辺は「悲田処跡公園」として整備されている。また近くを走る西武バスの停留所も「悲田処跡」を名乗るなど露出度が高く、比定地としては最も知名度が高いため、ここを正式な比定地と信じる人も多い。 しかしここを比定地とする根拠はあくまで伝承によるものであり、学問的な根拠はまったく存在しない。このため疑義が出たのか、昭和22(1947年)に一度埼玉県の史跡指定を受けながら10年で解除され、昭和33(1958年)に所沢市の方で再度史跡指定するという不自然な経過をたどっている。さらに昭和53(1978年)から始まった宅地造成で発掘調査が行われたものの、縄文時代の住居跡がわずかに見つかっただけで平安時代の遺物・遺構は一切確認されず、考古学的にも跡地であることが否定される結果となった。 現在所沢市も公式にここが跡地でないことを認めており、史跡指定も外している。ただし本当の跡地ではなくとも「伝承の地」ではあることを尊重してか、以前からある標柱は字が消えかけるところまで放置されながらも撤去されることなく存置され、公園名も改称等の措置はなく現在に至っている。バス停留所名もそのままとなっている。
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