悲田処とは? わかりやすく解説

悲田処

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 03:09 UTC 版)

悲田処(ひでんしょ)とは、平安時代初期の天長10(833年)、武蔵国多摩郡入間郡の境に設けられた布施屋。飢えや病気に苦しむ旅行者の一時救護所・宿泊所としての役割を果たした。


  1. ^ 所沢市生涯学習センター内のページで明言。また埼玉県ホームページ内の史跡・名勝の紹介ページにも載っていない。
  2. ^ これらの誤解は入間郡側にも及び、安永年間成立という地誌『増補久米郷旧蹟誌』では「久米村に被差別部落がある」として、入間郡久米村=所沢市松が丘及び久米周辺に比定している。ただし同文献は著者の実在が疑わしいばかりでなく、安永年間成立にしては紙が新しいなど様々な問題のある文献である。このため悲田処云々以前に当時被差別部落があったという話すら疑われて検証材料にならない。
  3. ^ これと同時に、昌永寺建立の申請が寺単独のものではなく寺を含めた5棟の建物に対する申請であることに注目。悲田処と同じ棟数であることから、昌永寺が悲田処の後裔として建立されたものとする見解を示している。
  4. ^ 東原は「『仁問番』という語彙は非常に特殊なものであってにわかに好事家には造れない」と述べ、同印を本物と見る立場を取っている。
  5. ^ 貞観3年(861年)に全国の治安悪化を受け、国ごとに律令に規定がない検非違使庁が緊急に設置されたが、武蔵国だけは単位で置くことが特に指示されており、当時の同国の治安の悪さを物語っている。


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