松竹蒲田撮影所
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松竹蒲田撮影所(しょうちくかまたさつえいじょ、1920年6月 正式開業 - 1936年1月15日 閉鎖)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。
注釈
- ^ 石川県出身で、当時松竹の巡業部長をしていた。
- ^ 映画女優市川春衛の夫。
- ^ 松竹キネマ合名社の職制は、社長:白井信太郎、総務:松居松葉、相談役:大谷竹次郎、白井松次郎、理事長:大谷竹次郎、理事:小山内薫、木村錦花、吉田克己、山森三九郎、田口櫻村、玉木長之輔、野村芳亭、外交部長:井上宅治、撮影部長:田口櫻村、営業部顧問:野村芳亭、技芸顧問:岡鬼太郎、建築顧問:前田長久、常務主事:瀬川露香となっている。
- ^ 後に松竹蒲田撮影所次長に就任。
- ^ 斎藤佳三(1887年 - 1955年)は、秋田県由利郡矢島町出身の美術家・音楽家で、国民服の考案も行った人である。[6]
- ^ 野村芳亭の異動の理由には、野村と柳さく子とのスキャンダルによる懲罰措置(左遷)[10] と、時代劇部門の強化目的の為[11]の2説がある。
出典
- ^ a b c 『松竹百十年史』
- ^ a b c d e f g 『日本映画事業総覧 昭和二年版』(国際映画通信社)
- ^ 田中純一郎著『大谷竹次郎』
- ^ a b 三國一朗著『徳川夢声の世界』
- ^ a b c d e 田中純一郎著『日本映画発達史I 活動写真時代』
- ^ 秋田県立秋田高等学校同窓会
- ^ 碧川道夫著『カメラマンの映画史 碧川道夫の歩んだ道』
- ^ 佐藤忠男著『日本の映画人 日本映画の創造者たち』
- ^ a b 筈見恒夫著『映画五十年史』
- ^ 岸松雄著『人物 日本映画史』
- ^ キネマ旬報社編『日本映画俳優全集・男優編』
- ^ 『現代映画用語辞典』
- ^ 松竹初のトーキー「マダムと女房」『東京日日新聞』昭和6年5月11日付(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p27 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)。
- ^ 蒲田の俳優ら検挙者は三十五人に『東京朝日新聞』昭和9年3月18日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p615 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)。
- 1 松竹蒲田撮影所とは
- 2 松竹蒲田撮影所の概要
- 3 おもな専属スタッフ・俳優
- 4 註
松竹蒲田撮影所(一)
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特筆以外、全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、全てサイレント映画、全て「国島昇」名義である。 『水藻の花』:監督池田義信、1923年7月1日公開 - 都の青年 『実説国定忠治 雁の群』:監督野村芳亭、1923年7月27日公開 - 高崎の重吉 『家なき女』:監督大久保忠素、1923年8月18日公開 『平和村』:監督小沢得二、製作松竹下加茂撮影所、1923年11月3日公開 『感じの好い映画集《星》』:監督牛原虚彦、1924年4月13日公開 『うなぎ』:監督大久保忠素、1924年5月1日公開 『水車小屋』:監督小沢得二、1924年5月21日公開 『海潮音』:監督大久保忠素、1924年6月11日公開 『妹』:監督大久保忠素、1924年6月21日公開 『山男の恋』:監督清水宏、1924年8月10日公開 - 一座の若者健二郎
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松竹蒲田撮影所(二)
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全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、全てサイレント映画、以降全て「国島荘一」名義である。 『義人の刃』:監督清水宏、1925年7月28日公開 - 弟・貞之進 『支那街の夜 第一篇』:監督大久保忠素、1925年9月18日公開 『支那街の夜 第二篇』:監督大久保忠素、1925年9月25日公開 『支那街の夜 第三篇』:監督大久保忠素、1925年10月9日公開 『コレラ征伐』:監督大久保忠素、1925年10月23日公開 - 主演 『湖畔の悲哀』:監督蔦見丈夫、1925年11月20日公開 - 村田吉夫 『愛妻の秘密』:監督島津保次郎、1925年12月12日公開 『土に輝く』:監督鈴木重吉、1926年1月7日公開 - ある紳士 『鈍急之進』:監督大久保忠素・斎藤寅次郎、1926年1月30日公開 『支那街の夜 最終編』:監督大久保忠素、1926年2月10日公開 『修羅八荒 第一編』:監督大久保忠素、1926年2月14日公開 - 弟三輪滝太郎 『運動家』:監督鈴木重吉、1926年3月2日公開 『真紅の情熱』:監督清水宏、1926年3月21日公開 - 藤十郎 『修羅八荒 第二編』:監督大久保忠素、1926年4月1日公開 - 弟三輪滝太郎 『修羅八荒 第三編』:監督大久保忠素、1926年4月1日公開 - 弟三輪滝太郎 『京子と倭文子』:監督清水宏、1926年4月22日公開 - 課長・宮田 『お坊ちやん』:監督島津保次郎、応援監督蔦見丈夫・五所平之助、1926年5月1日公開 - 武石勇次 『愛怨百面相』:監督大久保忠素、1926年6月25日公開 『新お初地蔵』:監督野村芳亭、1926年7月15日公開 『仇討同志』:監督吉野二郎、1926年7月24日公開 『修羅八荒 終編』:監督大久保忠素、1926年8月8日公開 - 弟三輪滝太郎 『お照とお雪』:監督清水宏、1927年1月22日公開 - 紳士 『九官鳥』:監督野村芳亭、1927年1月28日公開 - 艶歌師木村春風 『高田の馬場』:監督斎藤寅次郎、1927年2月17日公開 『父帰る』:監督野村芳亭、1927年3月29日公開 - 代弁人阪間源吾 『恥ずかしい夢』:監督五所平之助、1927年4月8日公開 『からくり娘』:監督五所平之助、1927年6月15日公開 - 学生 『白虎隊』:監督野村芳亭、1927年6月26日公開 - 間諜D 『殺陣時代』:監督斎藤寅次郎、1927年7月22日公開 『秋草燈籠 お露の巻』:監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 講談師長太 『秋草燈籠 小萩の巻』:監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 講談師長太 『恋を拾った男』:監督島津保次郎、1927年9月1日公開 - 弥生の情婦青木 『濡衣』:監督蔦見丈夫、1927年11月11日公開 『出世の近道』:監督清水宏、1927年12月31日公開 - 才蔵 『亭主操縦』:監督大久保忠素、1928年1月20日公開 『海に叫ぶ女』:監督清水宏、1928年3月9日公開 - お浜の恋人・勇二 『永遠の心』:監督佐々木恒次郎、1928年4月27日公開 『女房紛失』:監督小津安二郎、1928年6月15日公開 - 名探偵車六芳明 『昭和の女』:監督清水宏、1928年6月26日公開 - 美容院のボーイ藤田 『終列車の女』:監督佐々木恒次郎、1928年9月7日公開 『3善人』:監督野村芳亭、1929年8月15日公開 - 若紳士田宮
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松竹蒲田撮影所(三)
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全て製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹」、特筆以外は全てサイレント映画である。 『深夜の溜息』:監督斎藤寅次郎、1931年12月18日公開 『三太郎満州出征』:監督斎藤寅次郎、1932年2月4日公開 - 主演 『天国に結ぶ恋』:監督五所平之助、1932年6月10日公開 - 支配人岡野 ※サウンド版、遺作
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