本部構内とは? わかりやすく解説

本部構内

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 22:59 UTC 版)

京都大学吉田キャンパス」の記事における「本部構内」の解説

使用学部文学部教育学部法学部経済学部工学部 使用研究科文学研究科教育学研究科法学研究科経済学研究科工学研究科物理系)、エネルギー科学研究科、情報学研究科アジア・アフリカ地域研究研究科一部)、生命科学研究科事務部一部研究室)、地球環境学堂地球環境学舎公共政策大学院経営管理大学院 使用附属施設附属図書館経済研究所総合博物館学術情報メディアセンター北館)、東南アジア地域研究研究所埋蔵文化財研究センター、こころの未来研究センターなど 交通アクセス京阪鴨東線出町柳駅から徒歩10分。京都駅から出町柳駅へは、京都駅から徒歩京阪本線七条駅行き七条駅から出町柳駅へ)。バスを使う場合は、京都市営バス京大正門前」(3165201206)・「百万遍」(3・17・MN17・3165急行102201203・206系統京都駅からは京都市営地下鉄烏丸線今出川駅乗り換え)、京都バス京大正門前」(18系統:土曜休日ダイヤ)・百万遍185156系統下車所在地左京区吉田本町中央構内キャンパス)」とも呼ばれる幕末期には尾張藩京都下屋敷置かれていた(この藩邸設置により、荒神口を起点として東北角に延び古道志賀越道」(白川道)が一部塞がれることになった)。1889年大阪から移転してきた第三高等中学校(のちの旧制第三高等学校)の校地となり、1897年京都帝国大学設立に際して校地・施設譲ったので、京都大学設立以来キャンパスということになる。 百万遍石垣石垣カフェ騒動舞台になった正門入って正面にある時計台記念館とクスノキは、大学象徴として知られている。旧石油化学教室本館(現・学生部留学留学生センター)はノーベル賞受賞者湯川秀樹朝永振一郎福井謙一がここで研究したことで知られている。そのほかにも国の登録有形文化財となっている(本部構内)正門文学部陳列館(現・総合博物館)・尊攘堂(現・埋蔵文化財研究センター)をはじめとして京都帝大時代以来の古い建造物多数所在している(後出)。「時計台記念館」はかつての京都帝大以来大学本部棟であるが、本部構内における新「本部棟」の建設に伴い大学管理運営組織移転し経営企画本部教育研究推進本部本部棟内に設置されたため、現在はホール・レストランのほか京大歴史に関する展示室(京都大学文書館)が設けられ地下には京大生協店舗がある。 2008年人文科学研究所東山東一条から旧工学部5号館旧地球系専攻跡)に移転した

※この「本部構内」の解説は、「京都大学吉田キャンパス」の解説の一部です。
「本部構内」を含む「京都大学吉田キャンパス」の記事については、「京都大学吉田キャンパス」の概要を参照ください。

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