志賀越道とは? わかりやすく解説

志賀越道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 17:07 UTC 版)

志賀越道(しがごえみち)は、京(京都)の七口である荒神口から、近江に至る街道。志賀の山越とも。室町時代には今路道(今道越)とも呼ばれ、近世の文献には山中越の呼称も見られる[1]


  1. ^ 『雍州府志』「山川門愛宕の郡」の白川山のくだりなど。なお、同書瓜生山のくだりには、「志賀の山越は、山中越の南に在り。」とあり、志賀の山越と山中越は別ルートと見なしている
  2. ^ 増田潔『京の古道を歩く』p61
  3. ^ 増田潔『京の古道を歩く』p60
  4. ^ これは、当時の信長の居城である安土城が内湖を通じて琵琶湖の湖上交通を利用しやすい場所にあったことから、対岸の坂本を出発点とした上洛ルートが想定されていたことによる。


「志賀越道」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「志賀越道」の関連用語

志賀越道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



志賀越道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの志賀越道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS