明治時代から平成の町村合併までとは? わかりやすく解説

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明治時代から平成の町村合併まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:45 UTC 版)

森町 (北海道)」の記事における「明治時代から平成の町村合併まで」の解説

1868年 - (明治元年榎本武揚土方歳三初めとした幕府軍江戸品川沖を出港し開陽回天など8隻が鷲ノ木沖に到着し箱館戦争始まりとなった。この幕府軍にはジュール・ブリュネアンドレ・カズヌーヴフランス人士官らが参加していた。上陸後榎本軍は、森・尾白内・砂原移動し、四軒町・会所町・彦澗・松屋崎に台場設けた1872年 - (明治5年) 開拓使出張所設置管轄森村尾白内鷲ノ木宿野の4であった函館に次ぐ道南の主要地となる。また、同年森村産出茅部材木とし、日本ではと言われる防腐処理防腐剤鷲ノ木湧出していた石油使用)を施され桟橋築造され、完成とともに室蘭港との定期便運行された。 1873年 - (明治6年) 札幌本道日本初本格的馬車道)の開通に伴い駅逓所ができる。札幌本道は、函館間は道路室蘭間が海路とされた。また、同年10月ベンジャミン・スミス・ライマンにより鷲ノ木地質調査実施された。 1875年 - (明治8年) 砂原出張所廃止により掛澗砂原鹿部、熊泊、臼尻、尾部が出張所業務移管された。同年鷲ノ木より独立した谷村石倉加わり、更に翌年落部村加わり13ヶ所の管轄した(1876年頃まで)。 1878年 - (明治11年) 平取集落目指し函館出発したイザベラ・バード森村旅館一泊し当時様子日本奥地紀行書き記した1880年 - (明治13年) 鷲ノ木谷・石倉三村管轄する役場ができる(鷲ノ木外二ヶ戸長役場)。砂原村戸長役場設置される1881年 - (明治14年) 森・尾内・宿野辺三村管轄する役場(外二ヶ戸長役場)ができる。 1889年 - (明治22年) 鷲ノ木外二ヶ戸長役場外二ヶ戸長役場統合し外5ヶ管轄する役場成立する初代戸長三井勝用が就任する1902年 - (明治35年) 二級町村として茅部郡森村誕生する範囲亀田郡宿野(しゅくのべ)、茅部郡森村尾白内(おしろない)、鷲ノ木谷村石倉が6ヶ合併したのである初代村長佐野義政任命された。 1906年 - (明治39年) 砂原村掛澗合併し二級町村として砂原村成立する1907年 - (明治40年) 森村一級町村昇格する1920年 - (大正9年) 葛原猪平により本格的な冷凍工場としては日本初となる冷凍工場(後に葛原冷蔵となる。)を設立関東大震災時には東京へ北洋サケ等を搬入し冷凍魚価値広めた1921年 - (大正10年) 函館支庁管内福山町上磯町八雲町についで4番目の町政施行され森町となる。初代町長二代目村長昌雄が就任した1927年 - (昭和2年) 渡島海岸鉄道株式会社により東森仮停車場 - 砂原間が開業する1961年 - (昭和36年) 森町大火発生市街地大半焼失する1970年 - (昭和45年) 砂原村が町施行し砂原町となる。 2002年 - (平成14年) 北海道縦貫自動車道建設工事中に鷲ノ木遺跡発見翌年より調査始まりストーンサークル発掘される

※この「明治時代から平成の町村合併まで」の解説は、「森町 (北海道)」の解説の一部です。
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