明治時代から平成の町村合併まで
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「森町 (北海道)」の記事における「明治時代から平成の町村合併まで」の解説
1868年 - (明治元年)榎本武揚・土方歳三を初めとした幕府軍が江戸品川沖を出港し、開陽・回天など8隻が鷲ノ木沖に到着し、箱館戦争の始まりとなった。この幕府軍にはジュール・ブリュネやアンドレ・カズヌーヴらフランス人士官らが参加していた。上陸後、榎本軍は、森・尾白内・砂原と移動し、四軒町・会所町・彦澗・松屋崎に台場を設けた。 1872年 - (明治5年) 開拓使森出張所を設置、管轄は森村、尾白内村、鷲ノ木村、宿野辺村の4村であった。函館に次ぐ道南の主要地となる。また、同年、森村産出の茅部栗を材木とし、日本では初と言われる防腐処理(防腐剤は鷲ノ木村で湧出していた石油を使用)を施された桟橋が築造され、完成とともに室蘭港との定期便が運行された。 1873年 - (明治6年) 札幌本道(日本初の本格的馬車道)の開通に伴い駅逓所ができる。札幌本道は、函館~森間は道路、森~室蘭間が海路とされた。また、同年10月にベンジャミン・スミス・ライマンにより鷲ノ木の地質調査が実施された。 1875年 - (明治8年) 砂原出張所の廃止により掛澗、砂原、鹿部、熊泊、臼尻、尾札部が森出張所に業務移管された。同年、鷲ノ木村より独立した蛯谷村、石倉村が加わり、更に翌年に落部村も加わり13ヶ所の村を管轄した(1876年頃まで)。 1878年 - (明治11年) 平取集落を目指し、函館を出発したイザベラ・バードが森村の旅館で一泊し、当時の村の様子を日本奥地紀行へ書き記した。 1880年 - (明治13年) 鷲ノ木・蛯谷・石倉の三村を管轄する役場ができる(鷲ノ木外二ヶ村戸長役場)。砂原村戸長役場が設置される。 1881年 - (明治14年) 森・尾白内・宿野辺の三村を管轄する役場(森外二ヶ村戸長役場)ができる。 1889年 - (明治22年) 鷲ノ木外二ヶ村戸長役場と森外二ヶ村戸長役場が統合し、森外5ヶ村を管轄する役場が成立する。初代戸長に三井勝用が就任する。 1902年 - (明治35年) 二級町村として茅部郡森村が誕生する。範囲は亀田郡宿野辺村(しゅくのべ)、茅部郡森村、尾白内村(おしろない)、鷲ノ木村、蛯谷村、石倉村が6ヶ村が合併したものである。初代村長に佐野義政が任命された。 1906年 - (明治39年) 砂原村と掛澗村が合併し、二級町村として砂原村が成立する。 1907年 - (明治40年) 森村が一級町村に昇格する。 1920年 - (大正9年) 葛原猪平により本格的な冷凍工場としては日本初となる森冷凍工場(後に葛原冷蔵となる。)を設立、関東大震災時には、東京へ北洋サケ等を搬入し、冷凍魚の価値を広めた。 1921年 - (大正10年) 函館支庁管内の福山町・上磯町・八雲町についで4番目の町政が施行され森町となる。初代町長に二代目村長の林昌雄が就任した。 1927年 - (昭和2年) 渡島海岸鉄道株式会社により東森仮停車場 - 砂原間が開業する。 1961年 - (昭和36年) 森町大火発生、市街地の大半が焼失する。 1970年 - (昭和45年) 砂原村が町制施行して砂原町となる。 2002年 - (平成14年) 北海道縦貫自動車道の建設工事中に鷲ノ木遺跡を発見、翌年より調査が始まり、ストーンサークルが発掘される。
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