日本最古の都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
下記のことから大宰府は、ヤマト王権最古の条坊制都城である藤原京(持統天皇8年(694年))より古い、本格的な計画都市である。条坊の建設は単なる区画化した都市計画事業に過ぎず、城砦や城壁を建設するより遥かに簡単である。また何も無い所は攻撃の対象とならず防衛する必要もない。そこに重要な施設が存在していたからこそ、そこを防衛する設備が必要だったのである。『日本書紀』の記述が正しいとして、常識的に考えれば、多くの資材を投入して防衛のための付属施設である大野城・水城等が築城されたとされる天智天皇3年(664年)には、既に本体である都城は存在し、資材を投入するに足りる発展を遂げていたことになる。 7世紀中頃に創建された観世音寺の遺構が太宰府の条坊と正確に一致している。寺社に合わせて条坊が建設されることはなく、寺社が条坊に合わせて建設されたと考えられることから、太宰府の条坊は観世音寺が創建された7世紀中頃には存在していたことになる。 竈門神社の社伝では、天智天皇の代に大宰府が現在地に遷された際、鬼門(東北)に位置する宝満山に大宰府鎮護のため八百万の神々を祀ったのが竈門神社の始まりとされる。つまり大宰府は天智天皇の代(天智天皇7年(668年) - 弘文天皇元年/天武天皇元年(672年))にはあったことになる。 新羅が西暦250年 - 300年頃には金城を整備し、高句麗も427年に都を平壌に遷している。更に百済は538年に 泗沘都城を建設している。宋の皇帝から安東大将軍に任命され、隋・唐朝時代には天子を自称した倭王が、7世紀末まで都城を建設しなかったとは考えられない。また博多では日本最古の計画都市(奴国)が発掘されている。 九州年号に倭京元年(618年)とあることから、この年に建設されたと考えられる。
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