日中戦争期の活動とは? わかりやすく解説

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日中戦争期の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 01:33 UTC 版)

陳光甫」の記事における「日中戦争期の活動」の解説

1928年民国17年)に中央銀行成立すると、陳光甫理事となった同年11月中国銀行常務董事交通銀行董事就任している。1929年民国18年6月ジュネーヴ開かれた国際労働機関ILO総会使用者代表として出席した1931年民国20年)、上海銀行農村貸款部を創設し農村金融強化している。この他にも全国財政委員会委員全国経済委員会統制委員会主任委員上海銀行公会主席上海市臨時参議員などを歴任した1936年民国25年3月財政部高等顧問となり、訪米してアメリカとの間で「白銀協定」を結んだ。これは、中国貨幣米ドル兌換固定バーターに、アメリカの銀購入容認内容とするものである日中戦争勃発後、陳光甫上海銀行の総行(本店)を香港に移す。また、重慶にも新たに総経理弁事処を設置した1938年民国27年)、国民参政員に招聘されている。戦時中は、アメリカとの借款交渉担当し様々な借款協定成立させた。1940年民国29年6月章乃器と共に四川上川実業公司創設したが、まもなく陳は退出し新たに上川工業公司設立している。1941年民国30年8月、中美英平準基金委員会創設され、陳が主席に任ぜられた。

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日中戦争期の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 07:08 UTC 版)

左舜生」の記事における「日中戦争期の活動」の解説

1935年民国24年)、左舜生国民党中央政治学校教官となり、ここからようやく左や青年党と蒋介石との連携確立され始める。同年7月青年第8回全国代表大会において、左は中央執行委員会委員長選出された。1937年民国26年)の日中戦争抗日戦争勃発後、左は廬山会議出席し、蒋に憲法制定民意代表機関設立提言している。翌年4月、左は青年党中央執行委員長名義で「抗戦建国綱領」を蒋らに提出し、その全面的支持示したまた、日中戦争期間中通して反共姿勢堅持し、特に抗日根拠地設立には激しく反発している。 その一方で左舜生率い青年党は、1939年民国28年)に重慶非国民諸派による建国同志会統一建国同志会)が結成されると、これに参加表明した同年中国国民党5期5中全会で「異党制限活動弁法(原文限制党活動弁法」)」を提示すると、青年党もこれに反対示している。建国同志会改組され、1941年民国30年)に中国民主政同盟、さらに1944年民国33年)に中国民主同盟(民盟)となっても、引き続き青年党は参加し、左はこれらの秘書長任命された。また1945年民国34年7月には、左と章伯鈞・黄炎培らは延安訪問している。

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