民主政
民主政(1994年以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/27 14:37 UTC 版)
「モザンビークの歴史」の記事における「民主政(1994年以降)」の解説
1994年モザンビーク総選挙(英語版)は公正だったと広くみられ、シサノ大統領率いるFRELIMOが勝利し、ドラカマ率いるRENAMOが野党となった。 1995年11月、モザンビークはイギリス帝国領になったことのない国としてはじめてイギリス連邦に加盟した。1996年に結成されたポルトガル語諸国共同体にも加盟した。東南部アフリカ市場共同体には加盟したものの1997年に脱退している。隣国に避難していた難民170万人以上が1995年中までにモザンビークに帰国、また400万人の国内避難民が自宅に戻った。 1999年12月の1999年モザンビーク総選挙(英語版)ではFRELIMOが再び勝利、RENAMOは選挙不正があったと主張し、内戦状態への逆戻りになると脅したが、最高裁判所まで上告して敗北した後はそれを撤回した。 2000年初、サイクロンがモザンビークを襲い、大規模な洪水(英語版)を引き起こした。これにより数百人が死亡するとともにすでに不安定なインフラ状況に追い打ちをかけた。外国からの救援物資が届いたが、FRELIMOの指導者によって着服されたと広く疑われ、それを調査していたジャーナリストのカルロス・カルドーゾ(英語版)が殺害され、その死因には疑問が残った。 シサノは2001年に大統領の3期目に出馬しないと述べ、自身よりも長く大統領に留まった国家元首を批判した。これはザンビア大統領フレデリック・チルバ(在任:1991年 - 2002年、2001年当時は2期目で3期目に向けて出馬を検討中)とジンバブエ大統領ロバート・ムガベ(在任:1987年 - 2017年、2001年当時は3期目)に向けた発言とされる。2004年12月1日から2日にかけての2004年モザンビーク総選挙(英語版)ではFRELIMOのアルマンド・ゲブーザが得票率64%で勝利、RENAMOのドラカマ候補は32%にとどまった。議会ではFRELIMOが160議席を獲得、RENAMOと小政党数党の連合は残りの90議席を獲得した。ゲブーザは2005年2月2日に大統領に就任した。彼は2009年モザンビーク総選挙(英語版)で再選された。2014年モザンビーク総選挙(英語版)もまたFRELIMOが勝利、フィリペ・ニュシが大統領に当選した。 内戦以降はモザンビークの経済が回復したが、これは隣国の南アフリカ、そして東アジアからの投資者と観光客によるところが大きい。またポルトガル人も戻ってきてモザンビークに投資し、イタリア人からも投資された。石炭と天然ガスが成長して主要産業になり、内戦終結から20年間は平均収入(英語版)が3倍に成長した。 独立戦争と内戦を経たモザンビークでは多くの地雷が残っていたが、22年間の努力により2015年には地雷の完全撤去が宣言された。
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