故郷・東京へ里帰り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:00 UTC 版)
「営団3000系電車」の記事における「故郷・東京へ里帰り」の解説
営団地下鉄ではトップナンバーの3001号車を東西線の5000系トップナンバー車5001号車と共に保存することを計画しており、廃車時期を最後まで先延ばししていた。 しかし、長野電鉄へ譲渡した車両のうち1両が踏切事故により大破したため、急遽代替車が必要となった。当時、SUミンデン式FS510形台車を使用した先頭車は全くなく、アルストム式FS336台車をはく3001・3002号車だけが残されていた。このため、最終的にはこれら2両も譲渡することが決定され、揺れ枕取り付け改造を実施の上、流用したFS510台車を取り付けて同社に譲渡された。 前述の理由から、東西線5001号車は1991年(平成3年)3月の除籍後も行徳検車区(現・深川検車区行徳分室)で解体せずに保管をしていたが、3001号車の譲渡決定後の1994年(平成6年)2月に解体処分された。 前述したとおり3001号車(ただし、鉄道ファン誌2008年7月号では3001・3002号車と記載)は計画変更で長野電鉄へ譲渡されたが、「長野電鉄で運用を終了する際には、営団地下鉄側に一報を入れる」という約束が付けられていた 。 その後、2006年(平成18年)になり、長野電鉄では8500系(元東急8500系)への置き換えによって一部編成が冷房改造を施工せずに廃車する方針とされ、同社から3000系が引退するとの報告を受け、東京地下鉄側が「技術伝承」のために動態保存していくこととなった。このため、3001・3002号車は2007年(平成19年)1月19日 - 21日に保存のため、屋代線の屋代駅から千代田線綾瀬検車区まで甲種車両輸送された。 同検車区の敷地内にある綾瀬工場に収容された2両は、営団地下鉄時代の姿に復元することになった。復元にあたっては検車区の若手整備士9人を集め、ベテランプロジェクトメンバーの下、復元作業を行った。復元工事は地下車庫の南北線王子検車区で実施された。このため、各路線終電後に南北線9000系と連結して綾瀬車両基地 - (霞ケ関 - 桜田門 - 市ケ谷) - 王子検車区間を一往復回送した。 復元作業は2007年3月から2007年11月にかけて3期に分けて実施された。内容は長野電鉄ワンマン運転機器や社紋・赤帯の撤去、台車や連結器の点検、車体各部の補修など多岐にわたった。そして営団時代の前面方向幕・側窓上の団章「Sマーク」も再現された。 同年12月15日の「綾瀬車両基地見学会&車両撮影会」では、東京地下鉄になってから初めて一般公開が行われ、自力で検車区内を移動する様子も披露された。車内には3000系の歴史を記載したポスターが掲出されていた。 2009年(平成21年)12月5日に同じく綾瀬車両基地で行われた「スマイルフェスタ」でも公開された。尚、車内は前回の時とは違って、普段使用されている中吊り広告(同年11月27日にオープンしたエソラ池袋など、自社の広告のみ)が掲出されていた。 その後も綾瀬イベントで毎年姿を見せていたが、2015年9月に本来の古巣とも言える千住検車区に陸送で移動された。これ以降は一度も公開されていない。
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