政策の見直し
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「モーゲンソー・プラン」の記事における「政策の見直し」の解説
こうした政策の執行によって生じる問題は、ドイツにいるアメリカ人官僚にとって明らかなものであった。ドイツは長年ヨーロッパにおける巨大産業国であり輸出入を通して欧州各国の経済と繋がっていた。それゆえドイツの機能停止と貧困はヨーロッパ復興の妨げにつながる。またドイツで物資の窮乏が続くことは、占領軍の経費の増大を招き、占領地域救済政府基金(ガリオア資金)の不足という事態に至る。ヨーロッパ全土で貧困と食糧不足が続くことや、冷戦の開始でドイツ全土の共産主義化を防ぐことが重要となったことから、1947年には政策の路線変更が求められることが明らかであった。 この変化は、国務長官ジェームズ・F・バーンズによってシュトゥットガルトで1946年9月6日に行われた有名な演説、「ドイツ政策の見直し」(Restatement of Policy on Germany、「希望の演説」の別名がある)で明確になった。この演説で、モーゲンソー・プランとの絶縁が将来のアメリカの政策であることが述べられ、経済再建へと政策を変更するというメッセージはドイツ人に将来の希望を与えた。1946年から1947年にかけてトルーマン大統領の使節団(ドイツとオーストリアに対する大統領経済使節団)団長としてドイツへ派遣された元大統領ハーバート・フーヴァーは、1947年初めにドイツの窮状を述べ占領政策を批判する報告書を、またルシアス・クレイ将軍らもドイツの復興の必要性を訴える報告書(『ドイツに関する報告』。マーシャル・プランの元となったもの)を出しており、これらが占領政策転換の一助となった。 西側諸国の最大の悪夢は、貧窮と飢餓に対する怒りがドイツを共産主義化あるいはナチズム復活に駆り立てることであった。実際、ドイツにナチス政権が誕生した背景には、第一次世界大戦後、敗れたドイツに対して戦勝国が課した懲罰的な賠償金支払いや、ルール占領などの過酷な政策に対する反発が一因である。1945年から1947年にかけて西ドイツ経済は坂道を転がり落ちるように悪化し、ハイパーインフレーションが進み、経済規模も国民の摂取する栄養量も戦後最低になった。ドイツ各地では労働者による産業解体反対デモが頻発した。クレイ将軍は報告書で「一日1,500カロリーの生活のために共産主義者になるか、もしくは1,000カロリーのために民主主義の信奉者になるか、この場合選択する必要もない」と述べた。また彼やそのスタッフは物資不足にあえぐヨーロッパにアメリカが大量の援助を行い支出を増やす一方で、ドイツの熟練労働者が何も生産できないでいることを疑問視し、ドイツが生産を回復してヨーロッパへ輸出を行わないと飢餓が広まるばかりだとして、1945年半ばにモーゲンソーが長官を辞任して以後も2年にわたり産業解体政策を続ける財務省出身のスタッフや占領軍当局に不満を示した。 統合参謀本部、およびクレイ将軍とマーシャル将軍によるロビー活動の結果、トルーマン政権は、かつてヨーロッパ経済を支えていたドイツの産業基盤の再建なくしてヨーロッパの復興もないと認識した。1947年7月、トルーマン大統領は、ドイツ経済の再生を禁じる懲罰的なJCS1067を廃止し、安定したドイツがヨーロッパの繁栄に貢献する、とするJCS1779を新たに発した。この変化の最大の例が、国務長官となったマーシャルが確立したヨーロッパ復興計画、いわゆるマーシャル・プランであった。これに基づきアメリカは、ヨーロッパ諸国に対し無償援助でなく大量の資金を貸し付け経済を再生させ共産主義進出を防ごうとしたが、貸付先には西ドイツも含められた。 モーゲンソーが提唱した産業解体政策を推進する占領軍当局者は、1947年春に最後の一仕事となった古い銀行システムの解体を行った。これにより資金難に陥った銀行は長期融資ができなくなり、経済はさらに落ち込んだ。また重工業解体はこの後も一部では続行され、たとえばハンブルクの巨大な造船所ブローム・ウント・フォスは1949年になっても爆破解体が続いていた。1947年初頭においても400万人のドイツ兵捕虜が国外で強制労働に従事していた。100万人がイギリス、フランス、ベルギーにおり、300万人がソ連にいた。ザール地方のフランスによる保護国化も1957年まで続いた。 ドイツ経済が回復に向かうのは、1948年に開始された通貨改革、後に「欧州最強の通貨」とも呼ばれたドイツマルク誕生などの後のことであり、朝鮮戦争を経て西ドイツはようやく「経済の奇跡」と呼ばれる急回復を見せる。
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