支援作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:17 UTC 版)
詳細は「グッドウッド作戦」、「アトランティック作戦(英語版)」、および「スプリング作戦(英語版)」を参照 7月18日、イギリス第1軍団(英語版)および第8軍団(英語版)が、カーン東方でグッドウッド作戦を開始した。攻勢は、1,000機を超える飛行機が低高度から6,000ショートトン (5,400 t)の高爆発・高破砕性爆弾を投下する、空前絶後の地上支援爆撃により開始した。カーン東方のドイツ軍陣地は400門の砲に砲撃され、多くの村が瓦礫となった。しかしドイツ軍砲兵はさらに南、ブルゲビュ(英語版)の尾根にいてイギリス軍砲兵の射程外にあり、カニー(英語版)やエミエヴィル(英語版)の守備兵は大部分が砲撃の被害を免れた。このことは第2軍の損害に影響を及ぼし、第2軍は4,800名を超える人的損害を被った。装甲部隊の攻撃が主であったが、250輌から400輌のイギリス軍戦車が破壊された。しかし最近の調査では、完全に破壊された戦車は140輌のみ、損害を受けた戦車が174輌であったとされている。本作戦は現在に至るまでイギリス軍が戦った最大の戦車戦であり、オルヌ川橋頭堡の拡大とカーンの占領をもたらした。 同時にカナダ第2軍団(英語版)が、グッドウッド作戦の西側でアトランティック作戦(英語版)を開始した。オルヌ川岸沿いの連合軍の拠点を強化し、カーン南方のヴェリエールの尾根の占領を目指したもので、所期の目的は達成したが、損害の多さに士気は低下した。カナダ軍は1,349名の損害を出し、強固に防御された尾根はドイツ軍が保持したまま、アトランティック作戦は7月20日に中止となった。しかし、「最高指揮官からモントゴメリーへの指示で強く求められており」、モントゴメリーの催促で、カナダ第2軍団長のガイ・サイモンズ(英語版)中将は数日後に第二の攻撃、コードネーム・スプリング作戦(英語版)を開始した。サイモンズは再度ヴェリエールの尾根を占領するチャンスを得たが、この作戦は限定的ながら、アメリカ軍戦区へ移動するおそれのあるドイツ軍部隊を釘付けにしておく重要な狙いがあった。ヴェリエールの尾根の戦い(英語版)はカナダ軍にとって再度ひどく血なまぐさいものとなり、7月25日は、あるカナダ軍大隊(カナダ・ブラックウォッチ(ロイヤル・ハイランド連隊)(英語版)では、1942年のディエップ強襲以来、最も損害の多い日として記憶された。ドイツ軍2個師団による反撃はカナダ軍を開始地点まで押し戻し、サイモンズは前線を安定化させるために増援を送らねばならなかった。しかし、グッドウッド作戦とともに行われたカナダ軍の作戦は、クルーゲにアメリカ軍の攻勢は陽動作戦で、イギリス軍が主攻勢であるとの確信を深めさせ、ドイツ軍に装甲部隊と増援の大半をイギリス・カナダ軍戦区へ投入させることを強いた。スプリング作戦は、その損害にかかわらず、コブラ作戦の開始前夜に第9SS装甲師団をアメリカ軍戦区から引き離した。ブラッドレーの第1軍前面には、2個装甲師団が190両の戦車を保有しているだけであった。750両の戦車を有する7個装甲師団は、ノルマンディにいた全ての重戦車大隊および3個ネーベルヴェルファー旅団と同様、コブラ作戦が実施された地点から遠く離れたカーン方面に展開していた。
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