撤退へ
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2011年4月26日、メジロ牧場は昨今の生産馬、所有馬などの成績不振や、上記の有珠山噴火による影響などから競馬界からの撤退と同年5月20日付での解散を決定。メジロ牧場名義で所有していた競走馬は所有者が専務取締役の岩崎伸道に移転され、繁殖牧場などの資産は岩崎が代表を務めるレイクヴィラファームに売却された。なお、撤退に先だって、戸川牧場など関係者の牧場へ移転した馬もいる。 最後の出走馬となった同年5月15日の新潟4レースにおいてメジロコウミョウ(黛弘人騎乗)が1着となり、有終の美を飾った。5月20日以降メジロ牧場名義の競走馬は存在しなくなったが、中央競馬においては一度馬名が登録された競走馬は馬名を変更できないため、「メジロ」の冠名を持つ競走馬は現役馬の引退まで存在することとなった。
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撤退へ
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しかし発売から1か月後には、売れ行きは激減に陥った。安藤百福自らがスーパーマーケットに赴いて買物客相手に調査したところによれば、日清ランチと同様「高すぎる」「ラーメンは自宅で作ることは難しいが、飯なら自宅で炊ける」ということが、カップライスを敬遠する理由であった。当時、米は麺の主材料であるコムギの5倍も費用がかかることが割高に繋がり、店によってはカップライス1個の値段で特売品のインスタントラーメンが6個から10個も買えることもあった。これは前身の日清ランチですでに露見していた欠点である。カップライスの隣でラーメン5個100円の特売をしている店舗もあった。 自宅で炊く飯と比較すればどうしても食感が落ちたとの意見もあり、前述の試食会の好評さとは逆に、実際に食べた消費者からは、味が良くないとの意見もあった。加えて、湯を入れるだけで済むカップ麺と違い、カップライスは湯切りが必要なことも、敬遠の理由に挙げられた。湯を入れるだけで調理できるカップライスはアウトドアや非常食には向いているが、日清は日常食としての簡便さを狙っており、その狙いが需要とずれているとの見方もあった。 日清社内では、時間をかけて消費者の需要を掘り起こそうとの意見がほとんどだったが、米食文化の根づいている日本ではカップライスの需要がないこと、このままではインスタントラーメン製造にまで悪影響が及びかねないとの安藤の判断により、カップライスは製造中止に至った。カップライスの製造過程は日清ラ王にとって代わられ、後にラ王は大ヒット商品に昇りつめている。 食品業界の王者とされた日清食品がカップライスで失敗したことで、同業界では即席飯は成功しないことが半ば常識化し、この風潮は1988年(昭和63年)のサトウ食品の包装米飯「サトウのごはん」の成功まで続いた。その後、日清はカップライスの反省をいかし、日清GoFanを経て、後のカップヌードルごはんの成功へと繋げている。このカップヌードルごはんもまた、調理法は違えど、カップ入りの即席の加工米飯には違いないことから、安藤の先見の明を評価する声もある。
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