投資家として
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桐谷の転機は1984年、東京証券協和会に設置された将棋部の師範をしていたことをきっかけに、独学で株式投資を学び始めた。失恋をきっかけに株式投資を始めたとも言われる。その後「財テク棋士」として著名になり、現在では、財テクに関する雑誌「ダイヤモンドZAi」や「日経マネー」にも、個人投資家として登場する。 2006年時点で桐谷は、株式を約400銘柄、時価3億円分を保有し、そのうち1億円が優待銘柄という。株主優待を活用することで生活費はほとんど現金を使わない。また、将棋棋士としての戦術思考を投資の世界でも十分に発揮し、人並み以上の優れた記憶力で、手元に届いた数多くの商品券の使用期限を全て頭の中で把握している。 桐谷は自分にとって利用価値が低い期限付き商品券については金券ショップに売っており、様々な方法を駆使して高く売却するように心がけている。現金を使うのは家賃と光熱費とインターネット使用料程度で、これらの支払いも株式の配当金で賄うことができる。 2008年のリーマン・ショックや引退後に頻繁に行った信用取引が裏目に出て、2013年時点で桐谷の保有する株式の時価は約5000万円にまで激減する。多額の損を出したが、価値の下がった株でも優待があり、優待を活用して生活できることに気づき、以来、株の値上がり益は狙わず優待株専門に投資している。 2000年代、当時生活が困窮していた深田萌絵に桐谷が食事を提供したことがある。その後、深田が証券会社主催のセミナーの講師をしていること知り、連絡を取るようになった。深田からの連絡を受けて、桐谷は『カンニング竹山の銭ナール』(毎日放送)に個人投資家としてゲスト出演したことを皮切りに、その後、『笑っていいとも!』(フジテレビ)、『月曜から夜ふかし』(日本テレビ)等にもテレビ出演し、人気を得るようになった。 2013年8月10日には日本将棋連盟から「桐谷七段うちわ」が発売され、以後、ハンドタオル、色紙(「優待生活」)等の関連商品が販売されている。 2014年5月、タカラトミーアーツより「桐谷さんの株主優待生活クリーナーストラップ」(全6種)、第二弾「優待生活 桐谷さんのメッセージスタンプ」(全6種)のカプセルトイが発売された。 同年8月4日、DeNAからiPhone向けのゲーム「桐谷さん×チャリ走」が配信開始、2015年3月30日にはスパイシーソフトから「桐谷さん×チャリ走3rd Race」で再度ゲーム内に登場。ゲーム内のBGMは、人生初のボイスパーカッションに挑戦し大変シュールな出来上がりとなっている。 私生活では前述の婚約解消後、2021年現在まで結婚経験が無く、結婚相談所に登録した。美人好きを公言しており、吉永小百合・イヴ(神代弓子)のファン。吉永小百合のファンでファンクラブにも入っていたまたイヴの追っかけもしていた。 特段、SNSは使っていなかったが、2021年からTwitterでの発信を開始した。本人曰く「Twitterに興味はなかったが、自身を語る偽物のアカウントを辞めさせるために始めた」とのこと。現在も2名ほどの偽アカウントがあり、そのツイートに関しては「かつての本の内容を基にしており、現在と状況が違う」と注意喚起をしている。
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投資家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 22:21 UTC 版)
「ジョン・テンプルトン」の記事における「投資家として」の解説
1930年代の世界恐慌の際、テンプルトンはニューヨーク証券取引所の銘柄のうち株価が1ドル以下の企業104社の株を買い占めた。そして、それらが第二次世界大戦後の米国の産業復興により何倍にも膨れた。テンプルトン自身によると、彼は第二次世界大戦が勃発した日に仲介業者に対して1ドル以下の企業株を全て買うように伝えたと言う。これにより、テンプルトンは大富豪となった。 さらに、ミューチュアル・ファンドの利用を始めることで億万長者となった。彼が1954年に創業した投資ファンドのテンプルトン成長株投信株式会社は、日本において1960年代半ばから投資を行っていた。さらに、テンプルトンは原子力、化学、電子産業に投資するファンドを創設した。テンプルトンが株式公開を行った1959年までに彼の総資産は6,600万ドルを超えていた。 2006年にはサンデー・タイムズ紙が発表する長者番付において129位タイとなった。また、投資の際にはテクニカル分析ではなくファンダメンタル分析を好んだ。1999年、マネー誌において「間違いなく今世紀最も偉大な投資家である」と評された。
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投資家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 07:04 UTC 版)
1990年初頭、林輝太郎に師事する。株式会社パンローリング代表取締役後藤康徳とは兄弟盃である。現株投資からツナギ中心の信用取引、商品先物の小豆・とうもろこし・パラジウムなどを経て、1993年から日経平均先物取引(現ラージ225)、1994年より日経225オプション取引にて、相場師としての才覚を発揮。トレンドフォロー(順張り)を軸に、アービトラージ(サヤ取り)を派生させたオプション取引でのデルタヘッジによる相場運用を展開[要出典]。氏の投資の口癖は「粛々と稼ぐ」。
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