戦術爆撃任務に投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:04 UTC 版)
「B-29 (航空機)」の記事における「戦術爆撃任務に投入」の解説
沖縄戦が始まると、九州の各航空基地から出撃した特攻機にアメリカ海軍は大きな損害を被った。第5艦隊司令レイモンド・スプルーアンス中将は「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」 とB-29による九州の特攻基地爆撃を要請した。ルメイは、B-29は日本の都市を戦略爆撃することが戦争遂行に最も寄与することと考えており、B-29を戦術爆撃任務に回すことに難色を示したが、スプルーアンスの懇願を受けたアメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官のチェスター・ニミッツ元帥からの強い要請により、海軍作戦部長の アーネスト・キングがアーノルドに対し「陸軍航空隊が海軍を支援しなければ、海軍は沖縄から撤退する。陸軍は自分らで防御と補給をすることになる」と脅迫し、ルメイは渋々B-29を戦術爆撃任務に回すこととしている。 4月上旬から延べ2,000機のB-29が、都市の無差別爆撃任務から、九州の航空基地の攻撃に転用されたが、日本軍はB-29の来襲をいち早く察知すると、特攻機を退避させるか巧みに隠した。そして爆撃で滑走路に開いた穴はその日のうちに埋め戻してしまった。アメリカ軍は飛行場機能を麻痺させるため、B-29が飛行場攻撃で投下していく爆弾に、瞬発から最大36時間までの時限爆弾を混ぜた。時限爆弾により爆撃後長い時間作戦が妨げられるため、特攻作戦を指揮していた第5航空艦隊司令長官宇垣纒中将を悩ませたが、これも基地隊員や飛行場大隊の兵士が命がけで処理したので効果は限定的だった。B-29は飛行場攻撃に併せて、九州各地の都市にも小規模な無差別爆撃を行った。3月に開始された東京などの大都市圏への無差別焼夷弾爆撃に比べると被害は少なかったが、市街地にも時限爆弾を投下しており、不発弾と勘違いした市民に被害が生じている。 結局、B-29は飛行場施設を破壊しただけで、特攻機に大きな損害を与えることができず、特攻によるアメリカ海軍の損害はさらに拡大していった。陸軍航空軍の働きに失望したスプルーアンスは「彼ら(陸軍航空軍)は砂糖工場や鉄道の駅や機材をおおいに壊してくれた」と皮肉を言い、5月中旬にはルメイへの支援要請を取り下げて、B-29は都市や産業への戦略爆撃任務に復帰している。スプルーアンスは、陸軍航空軍が殆ど成果を挙げなかったと評価しており、「特攻機は非常に効果的な武器で、我々としてはこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域にいたことのない者には、それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解することはできないと信じる。それは、安全な高度から効果のない爆撃を繰り返している陸軍の重爆撃機隊(B-29のこと)のやり方とはまったく対照的である。私は長期的に見て、陸軍のゆっくりとした組織的な攻撃法をとるやり方の方が、実際に人命の犠牲を少なくなることになるかどうか、疑問に思っている。それは、同じ数の損害を長期間にわたって出すに過ぎないのである。日本の航空部隊がわが艦隊に対して絶えず攻撃を加えてくるものとすれば、長期になればなるほど海軍の損害は非常に増大する。しかし、私は陸軍が海軍の艦艇や人員の損耗について考慮しているとは思えない。」と非難している。 一方で、スプルーアンスに非難されたルメイも「B-29は戦術爆撃機ではなく、そんなふりをしたこともない。我々がどんなに飛行場を叩いても、カミカゼの脅威をゼロにすることはできなかった。」とB-29による特攻基地の破壊は困難であったと総括している。
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