怪奇ロマン路線
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「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の記事における「怪奇ロマン路線」の解説
石井輝男が1968年の『徳川女系図』を皮切りに1969年の本作『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』まで、一年半の間にハイペースで東映京都撮影所で撮った9本のエログロ映画を今日"性愛路線" "異常性愛路線"と呼ぶことが多いが、本来は、これら9本のエログロ映画は、岡田茂企画製作本部長が提唱した五つの路線から成る(東映ポルノ#石井輝男エログロ映画)。岡田は「路線が確立しなければ単発で当てても儲からない」という考えを持っていた。石井は当時はフリーで、東映とは本数契約だった。路線の途中に日活で正統的な任侠映画『昇り竜鉄火肌』を撮っているのはこのため。石井自身「『徳川女系図』以後の企画は私の発案ではありません」と述べている。 本作の一つ前『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』公開前の1969年8月に岡田が「『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』と11月に公開を予定しているエロチック・アニメーション『㊙劇浮世絵捕物帳』(『㊙劇画 浮世絵千一夜』)を最後に"刺激路線"にピリオドを打つ」と発表した。当時エロ映画への風当たりが強くなり、警視庁は婦人団体からエロ映画の取締りを強化するよう突上げを食らい、映倫に審査の強化を要請していた。撤退理由として岡田は「至極カンタンな理屈。70年対策。明年は安保と万博の年。万博の影響は大したことないが、怖いのは安保闘争だ。世の中が上へ下への大騒ぎをしているときに、ハダカにムチを打ったり、逆さ吊りにするようなシンドイものは敬遠されるのではないか」と話した。また岡田は「もし("性愛路線"を)復活するなら、ひとまず静まった明後年(1971年)」と話し、その代わりに江戸川乱歩や夢野久作などの全集がベストセラーになっていることにヒントを得て、"怪奇ロマン路線"を敷くとし、「現状への欲求不満の鬱積がこうした怪奇幻想に走らせているのだし明年の思想の主流の一つ」と述べ、石井監督の次回作を急きょ切換えての第一弾を『パノラマ島奇譚』と発表、「江戸川乱歩の有名な原作を中心に他の作品も加味する。こうしたものは松竹がすでに丸山明宏で手がけたことがあるが、単なる幻想ではなく、もっとリアルな内容にする」と説明した。また「江戸川乱歩の作品をかたっぱしから映画にする」と合わせて発表し、"怪奇ロマン路線"は本作一本ではなく、路線化される予定で、次作は『地獄』を予定し1970年8月封切りを予定していた(内容が大きく変わり1999年に映画化『地獄』として映画化)。当時のマスメディアからは「従来の路線をオブラートで包んだ形になるのだろう。しかし数々のフンドシ女優を怪奇ロマンに切り替えられるのか」「『恐怖・畸形人間』という題からも想像されるように畸形人間のオンパレード。怪奇幻想といえば聞こえはいいが、要するに乱歩ブームにあやかったエログロ路線の一変種。つまり畸形映画というわけだ」「配役は霊感女優の北条きく子が乱歩の霊を呼び、そのお告げで決めるという。ヒロインは北条きく子と御託宣が下ったらどないするねン」などとおちょくられた。
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